エジプトでは誰もが避けたがる問題
2013年06月30日付 al-Quds al-Arabi 紙

■エジプトでは誰もが避けたがる問題

2013年06月30日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

タハリールで、ヘリオポリスの大統領官邸前で、ムルスィー大統領に反対する数十万人がデモに参加した現在、自ずと浮上してくる問題は、次のステップはどうなるかということだ。今日、明日、今後数カ月の間に何が起きるのか。誰もがその前に立ち止まらなければならない真実を認めよう。エジプトは、あらゆるレベルで悪化するばかりの、分裂状態に等しい困難な状態にある。唯一統制がとれている組織は軍である。民主的であれ専制的であれ、第三世界のあらゆる国と同じように。この組織、軍は、事態を間近に観察し、選択肢を検討中である。どの選択肢も不安定で保証はない。

司令官・国防相アブドゥルファッターフ・アッ=スィースィー将軍を代表とするエジプト軍部は、政権側ならびに反体制側の政治家たちに猶予を与えた。この危機が見解の相違によるものならば、五日間で事態を収拾すべし。それがならなければ、軍は民衆の側に立ち、国と国家機関の崩壊を防ぐために介入する。

この期限は本日である。危機は、悪化していないにしても依然としてそのまま存在する。では次のステップは?軍がその警告通り権限を掌握し非常事態を宣言して、エジプトは戒厳令下に入るのか。

妥協の可能性はまるでない。いずれの勢力も塹壕にはまり込み一ミリも譲歩するつもりはないからだ。反大統領派は辞任要請を叫んでいる。この抗議運動以前に要請していた大統領選の前倒しなどではない。大統領派は、彼が国民に選出された合法的な元首であり、あと三年の任期を完了せねばならないと主張する。

ムルスィー大統領は、たとえ数百万人が街頭に繰り出そうとも、デモの要請に従って退陣することはないだろう。しかし軍が介入し政権を握れば辞任を余儀なくされる。1月25日革命の時と同じように。大きな違いは、ムルスィーが国民の広い層から支持を得て選出された大統領であるのに対し、ムバーラクは国民の圧倒的多数から憎まれていたという点だ。

軍が介入し政権を掌握した、そしてそれが国民の支持を得たと仮定してみよう。政権側と反体制派に分かれた政治家たちはこれを歓迎するだろうか。もし彼らがこの措置に満足できなければ、われわれは「軍政打倒」のスローガンを聞くことになるのだろうか。政治家たちはどう反応するか。彼らが街頭に繰り出すのだろうか。

もう一つ考えなくてはならないことがある。大統領が反体制派の要請に屈服し大統領選が行われたとする。そして彼が勝利した場合、反体制派はこの選挙結果を受け入れ、国民の意見、投票箱の決定を尊重するのだろうか。それとも再び街頭へ戻るのか。

これらの問題に対する回答を持っているという人は嘘つきだ。現状を支配しているのは憎しみであり、互いを煽りたてる気持である。これがこの危機のメインタイトルであり、痛み分けの妥協策などは提案することを禁じられている。たとえ、平和的な愛国心をもって、何よりもエジプトのためにとなされる提案であっても。

ムルスィー大統領はいくつかの大きな失敗をした。憲法宣言については後悔していることを自ら認めている。この一年の任期の成果は素晴らしいとは言えず、彼が自分で選出した顧問の多数が去って行った。何よりも、彼は全エジプト国民の長となることができなかった。大統領はこれらの過ちを修正する充分な機会を与えられなかったという人もいる。一年では短すぎるのだと。そして、その逆を言う人もいる。

エジプト国民、その大多数が、両陣営の政治家たちによる扇動故に、広場でデモに参加し続けていることは明白である。共生に失敗した政治家たち、混乱する国の様々な危機に対し解決策を提示することのできなかった政治家たちだ。

エジプトはその為政者たちの元で機能停止した。この段階でこの国を主導しようと志願する者は誰でも、冒険に、もしくは賭けに乗り出すことになる。たとえ、叡智と思慮と経験を有する人であっても、障害は数知れずある。エジプトには9,000万人がおり、その半数以上が政策と国の運営に意見してくるのだから。

エジプト国庫は貧窮し財政赤字は250億ドルに至ろうとしている。水は盗まれ、失業率の度合いは深刻で観光客は逃げていく。裕福なアラブの同胞たちは顔をそむけ、中には意地悪くほくそ笑む国さえある。ベニスの商人のごとく振る舞うIMFは、1ドル供与するごとにエジプト国民の飢えが増すことを望んでいる。われわれは、デモの平和主義を維持しようとする偉大なるエジプト国民を支援せねばならない。少なくとも今この文章を書いている時まで、血は一滴も流されておらず、中傷的なスローガンは繰り返されていない。これこそがわれわれの考える文明的振る舞いというものではないか。

多くの問題を提起したが、最後にもう一つ。エジプトの為政者たちは何処に居るのか。彼らはなぜ現場に不在なのか。メディアは何をしているのか。国政に責任を有する人々は何故、エジプトの利益を第一に考え、愛国的なビジョンをもって前を見ようとしないのか。

民主主義、共生、尊厳ある未来といったエジプト国民の切望を挫折させてきたとすれば、そのような政治家たちは、選出された者の名に値しない。代替策が軍だというのは心痛むことである。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:30626 )