コラム:「アル=カーイダ」と「ダーイシュ」が中東の国際関係にもたらした「ねじれの同盟」 (下)
2014年06月28日付 al-Hayat 紙

米国はシリアの反体制派へ非殺傷兵器を供与する方法を模索してはいるもののシリアへ介入はしておらず、しかしイラクに関して米国は重大な責任を意識している。米国はイラクに「民主主義を据える」ことを目的に2003年侵攻し、米国とイランの共通の友であるヌーリー・マーリキーの主導下で「政治プロセス」が安定したと判断して2011年、ようやくイラクから米軍を撤退させた。

モースルとイラク北部が記録的な速さで「ダーイシュ」の旗のもとに陥落したことで、米国はニューヨークとワシントンを襲った「アル=カーイダ」の攻撃を思い起こした。その攻撃が契機となって、テロとの戦いに向けての大規模な同盟が公式・非公式に再考され、イランも暗黙裡にイラクとアフガニスタンにおける米国の協力者となり、またシリア政府も情報収集上欠かせない同盟者となった。

2001年当時ジョージ・ブッシュ政権の米国が「対テロ戦争」を指揮する中で「アル=カーイダ」は、ターリバーン統治下のアフガニスタンを破壊して同国を終わりなき戦争状態に巻き込むことに利用された。今は「ダーイシュ」がシリアとイラクを破壊することに利用されており、ダーイシュは東奔西走して思う存分に「死と弾圧の文化」をまき散らしている。一方イランは独自に「テロとの戦い」の計画を策定しており、この計画は、マーリキー政権とアサド政権の双方の救済を欧米の支援と結びつけながら実現するという錯綜した同盟構想に基づいて練られている。この計画の目的達成のために、テロリズムの脅威を極大化することが取り組まれており、その取り組みは、イラク軍が対ヨルダン国境から撤退し、シリア軍が対トルコ国境から撤退すると、「ダーイシュ」が両軍撤退後の隙間を次々と埋めていき、これを脅威とするイラクのシーア派住民が一斉に戦闘態勢を敷くという一連の事態の推移にあらわれている。脅威の余波はレバノンにも及んでいる。

(後略)



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:前田悠作 )
( 記事ID:34498 )