歴史的会談の前提条件(中)
2014年09月20日付 Iran 紙

 現在、イランとアメリカはいくらかのレベルで互いに深刻な対立を抱えており、こうした対立がまず何よりも国交の断絶に、そしてある時期には〔激しい〕敵対関係へとつながっていった。とはいえ、ロウハーニー師が先週の木曜日にNBCテレビとのインタビューで強調していたように、国交の断絶は最後の審判の日まで続くようなものではないのも事実だ。

 いずれにしても、イラン・アメリカ関係における第一の、そして最重要の問題は、米国政府がイランの国家と国民の権利を不当に侵してきた歴史的な干渉に由来する。1332年モルダード月28日(1953年8月19日)のクーデターの計画・実行〔※石油国有化を推し進めたモサッデグ政権に対する転覆クーデターのこと〕から、イラン人民によって成し遂げられたイスラーム革命が実を結ぶことへの敵対的態度、対イラン攻撃に際してサッダーム・フセインおよびイラク・バアス党に与えた支援、そしてイラン人民に対する35年間にわたる大規模な経済制裁の実施に至るまで〔、そうした干渉には枚挙のいとまがない〕。

 これらの行動は全て、アメリカとの関係継続はイランのためにならないという結論へと、イラン人を至らしめたのである。58年(1979年3月〜1980年3月)にホワイトハウスが一方的にイランとの国交断絶を行った〔※ママ。実際にはアメリカがイランとの国交を断絶したのは1980年4月であり、イラン暦では1359年にあたる〕後、イランが国交再開に向けて、これといった意欲や動きを示してこなかったのも、まさにそのためである。もちろん、国交断絶は永遠に続くと言ったことは一度もなく、むしろイランはアメリカ側が良心的な行動を取ることを望んできたのであり、そうした行動が取られた暁には、国交再開の可能性も用意されるのである。

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:STFM )
( 記事ID:35429 )