コラム:米国の「対テロ戦争」における立場の根底にあるもの(下)
2014年11月07日付 al-Hayat 紙

■米国の「対テロ戦争」における立場の根底にあるもの

【ワリード・マフムード・アブドゥンナースィル※】

また、米国のテロ組織リストに最初に登録されたイスラーム主義組織が、スンナ派組織でなくシーア派組織であったということも重要である。その背景にはレバノン情勢の進展があり、1982年夏のイスラエルのレバノン侵攻・占領とそれに続く米海兵隊のレバノン駐留に対決するレバノンのシーア派レジスタンス組織が複数登場してきた。このとき合衆国はアフガニスタンやパキスタンなどの別の場所で、宗教思想の旗印のもとで武力行動を展開するスンナ派政治組織と同盟関係を結んでいた。これは、共通の敵(旧ソヴェト)との闘いに利害を見いだす同盟であった。共通の敵との対決に同じ動機と目的を見いだすこの同盟関係は、ボスニアさらにはチェチェンにおいても継続した。

だが実際のところ、合衆国と「政治的イスラーム」とされるスンナ派組織の間の矛盾も、次の2つの変化を背景に表面化した。第一の変化は、スンナ派組織の一部がイスラエルの安全保障を脅かし始めたことであり、これを合衆国は容認できなかった。「スンナ派テロ組織」と位置づけられたのは、真っ先にパレスチナのスンナ派組織であり、次いでレバノンのそれであった。第二の変化は、米国の安全保障そのものが直接脅かされ始めたことである。それは、1993年ニューヨークの世界貿易センターへの最初の攻撃が未遂に終わったのを起点として、1998年のダルエスサラームとナイロビのアメリカ大使館攻撃を経て、そして2001年9月11日のニューヨーク・ワシントンへの攻撃へとつながった。

しかしながら、我々は今一度、以下のことを重視しなければならない。合衆国はアフガニスタンへの攻撃を、9月11日攻撃への反撃たる「対テロ戦争」の枠組みにおいて開始したのだとしても、次に、なかば世俗的かつ民族主義的なサッダーム・フセイン政権に対する「対テロ戦争」を急いだのは、米国の独断によるものだった。同政権が9月11日の攻撃や「アル=カーイダ」とは何の関係もないことは既にこのとき判明しており、ことはすべて、 一方では米外交政策上の目的の達成、他方では1990―1991年第一次湾岸戦争以来の米戦略上の「目標」とされてきた諸任務の完成にとっての歴史的好機を逃してはならないという脈絡において決められたのである。

このように、「対テロ戦争」における米国の立場においては、組織を「テロ組織リスト」に登録する際には、その政治的見解、思想傾向、価値基準などは関係せず、これらの組織が信奉する思想、採用する戦略、暴力行為の程度さえ必ずしも関係しない。米国による「テロ組織」の位置づけは著しく実用的かつ状況適合的であり、これらの団体・組織が、米国の外交政策の目的に関してどのような立場にあるかが重視される。つまるところ、団体・組織はグローバルな米国の利害の実現をどの程度阻害しようとしているかを米国当局が判断することによって決まるのである。

※エジプト人作家



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:前田悠作 )
( 記事ID:35818 )