コラム:イスラーム主義者とリベラリストの対立の終焉
2014年11月12日付 al-Hayat 紙

■イスラーム主義者とリベラリストの対立の終焉

【ズィヤード・ドゥリーシュ】

私はこれまで、アラブ世界における「対立する」言説の変容について幾度も書いてきた。このような言説は過去数十年、イスラーム主義者とリベラリストの緊張関係の中で常に現れてきたものであった。しかし、お馴染みの宗教的な論争もしばしば見受けられるとはいえ、ここ数年間で論争は、宗教的というよりは世俗的な性質を帯びたものとなりつつある。

論争において(宗教と世俗という)この新たな「混在」が最も顕在化したのは、いわゆる「アラブの春」をめぐる立場においてである。もはやアラブの春を支持するか否かという立場だけでは、イスラーム主義とリベラル派という2羽の鶏の闘いというような古典的な形で社会的な分類をすることはできない。

私はここで、(イスラームの)教義の包括的な概念をめぐる宗派対立の終焉について言いたいのではなく、さまざまな事例を混同しているわけでもない。むしろ、宗教によって捉えにくくなっている党派対立について言いたいのだ。あるリベラリストの一派はアラブの春と戦ったが、別の一派はアラブの春のために戦った。イスラーム主義者も同様に、アラブの春を守る者と攻撃する者が互いに戦ったことは明らかだ。

このような対立のセクト化により、アラブの文化的言説はかつてないほどの混乱がみられた。論争を追ったところで、一体誰と誰の戦いなのか言い切ることができなくなっている。そしてこれは、SNSサイト上のやりとりにもはっきりと現れている。つまりフォロワーは、Twitterの投稿者が情勢に対してどのような立場をとっているのかについて、もはや5年前まで主流であった従来の分類に基づいて区分することができないのだ。

(後略)

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( 翻訳者:前田悠作 )
( 記事ID:35851 )