15歳の高校生、教師をナイフで刺殺(3)
2014年11月24日付 Jam-e Jam 紙

モハンマド、父親にもケガを負わせる

 ハーフェズィー高校の生徒と教師たちが、1393年アーザル月1日(西暦2014年11月22日)のつらい記憶を忘れることは、決してないだろう。彼らの目の前で教師の1人が血の海に沈んだあのつらい日のことを、彼の命を救うために誰も何もできなかった、あのつらい日のことを。

 〔ロレスターン州〕ボルージェルドにあるハーフェズィー高校の教師であるキャリーミーさんは、この事件の目撃者である。彼は本紙記者に対して「故ハシュハーシーさんは物理学の修士号をもっており、以前は州の進学校で教えていました。彼はとても物静かな男性で、生涯のうち23年を教育に捧げ、生徒たちとも友達のように接していました」と述べた。

 彼は次のように続けた。

土曜日の11時頃のこと、私は教室で授業をしておりました。すると、ハシュハーシーさんの叫び声が聞こえてきました。彼は教室の前で血だらけの状態で倒れており、彼の首と胸はナイフで刺されていました。私たちは救急に電話し、瀕死状態の同僚を病院に連れて行きました。しかしそこで告げられたのは、重度の負傷により心肺停止状態だ、ということでした。すぐに彼を蘇生室に運び、数分後、医師らは彼の心臓が再び脈を打ち始めたと言いました。私たちはその知らせを聞いて、歓喜しました。彼の肺から血を抜くために、ハシュハーシーさんは手術室に運ばれ、術後は集中治療室に移されました。そしてそこで、重度の負傷により、彼は亡くなったのです。

 この教師はさらに、次のように続けた。

事件当時、モハンマドの父親は〔学校の〕相談室にいました。彼は事件について知ると、息子を捕まえようとしましたが、モハンマドはナイフで父親の手にケガを負わせ、逃走しました。父親は息子について、精神障害を抱えていると主張していますが、もしそうなら彼はこのことを学校の関係者に伝えておくべきだったはずです。しかしこの事件が起こるまで、こうした指摘が〔学校関係者に〕伝えられたことはありませんでした。事件当時、モハンマドと教師の間で何らかの衝突が起きていたというようなことは一切なく、彼がどのような動機でこのようなことをしでかしたのか、私たちには見当も付きません。

つづく


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( 翻訳者:カサバ王子 )
( 記事ID:36094 )