ヴァーチャル世界、犯罪者どもが跳梁跋扈する空間(6)
2015年05月20日付 Jam-e Jam 紙

専門家の視点1:ヴァーチャル・ネットワークとともにある生活

【談:セイエド・ハサン・ムーサヴィー=チャルク(イラン・ケースワーカー協会会長)】

 テクノロジーの発展、そしてソフトウェア制作によって迅速な情報の利用〔が可能となったこと〕は、チャンスであるとともに脅威でもある。〔こうした情報やソフトを〕正しく活用するためのリテラシーがある場合にはチャンスとなるが、そうでない場合には脅威となるし、私たちの精神的安定にも影響を与えかねない。

 以前、私はすでに引退した、あるいはより正確に言えば「経験を積んだ」ある人と同席する機会に恵まれた。私たちの会話の中で、情報へのアクセスの速さや、人々が社会、そしてとくに家庭の中でテクノロジーやソフトウェアを必要以上に利用している現状について、指摘があった。

 この方が抱いていた懸念とは、おそらく次のようなことだったと言えるだろう。すなわち、私たちがこれまで以上に愛情や対話を必要としているときに、Viber、WhatsApp、LINEといった利器は家庭内ですでに少なくなっている会話の機会を、さらに少なくさせてしまっている、ということである。

 この人物は、次のような話をしてくれた。孫たちに会いに、テヘランを訪れたことがある。しかしその間、1週間もいたというのに、一緒に話す機会はあまりなかった。夜、夕食の時でさえ、友達への返信を怠るようなことが万が一にもないよう、食卓の上には携帯電話が置いてあった、と。

 現在、家族間の愛情関係をめぐる状況に懸念を抱いていない人は、ほとんどいないのではないか。Viberは残念ながら、多くの場合に悪しき形で利用されている利器の一つとなっている。私は全体としてみた場合、ヴァーチャルな空間は脅威ではなく、チャンスだと思っている。しかし、この空間を正しく活用するためのリテラシーがあれば、と願わずにはいられない。

 昨今では多くの家族が、パーティの時でさえも会話をする代わりに、互いに携帯電話の操作に夢中になっている。結論を言えば、私たちはともに会話をすべきパーティーの場でも、ViberやTelegramによって、私たちは互いに話し、関係を構築することを阻害されているのである。多くの場合、家庭内における夫婦関係、そしてさらには親子関係ですら、それは負の影響をもたらしているのである。

 Viberに「避難」することが、パーティーの場で家族や親類の人たちとあまり関わらないための手段となっている、といった人も、中にはいるだろう。しかしこうしたViberのごとき利器を不適切に、過度に、また時と場所を選ばずに利用しようとする傾向が、家庭内におけるよき兆候とは言えないのは、明らかである。

 たとえそれが私たちを熱中させることがあるとしても、ヴァーチャル空間では、私たちの間ではいかなる情感もやり取りされないということを、忘れてはならないだろう。

〔‥‥〕

つづく


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( 翻訳者:EM )
( 記事ID:37711 )