コラム:レバノン政府はいつまで耐えられるのか?
2015年08月26日付 al-Hayat 紙
政治に抗議するベイルートの群衆(Reuters)
政治に抗議するベイルートの群衆(Reuters)

■レバノン政府はいつまで耐えられるのか?

【イッザト・サーフィー】

もしアミーン・ジュマイイル元大統領が、1988年に官邸を去る前に、ミシェル・アウン将軍を長とする軍事政権の発足という失敗を犯さなければ、レバノンは現在の危機に見舞われていなかっただろう。神がジュマイイル大統領をお赦しになりますように。

しかし現在の大統領職をめぐる危機は、偶然の産物でも例外的なものでもない。今回は独立以来や独立以前どころか、レバノンという存在が創られ始めた時以来の、最も危険な状態である。

そもそもレバノン建国にあたり、フランスを筆頭としたヨーロッパ諸国は、マロン派を大統領職に就かせるべきと主張した。イスラーム諸宗派や他のキリスト教宗派のレバノン人指導者らはこれに反対しなかった。

現在の危機が始まる少し前の2014年2月5日、マロン派総大司教は「共生こそレバノンの試みの核」と題された公式文書を発表した。同文書が指摘するところによれば、イルヤース・フワイヤク総大司教は、1919年、「ヴェルサイユ」で開かれた(※第一次世界大戦の戦後処理にかかわる)国際会議に赴き、全てのレバノン人を代表して「大レバノン」案を提出した後、フランス大統領と面会した。そして、「我々はあなた方にある試みをさせる。これは中東で初めて、宗教的ナショナリズムを政治的ナショナリズムに取って代えるという試みである」と述べた。

当時のレバノン人は、フランスが独立を認めレバノンから撤退するまで四半世紀以上も待たされた。その時からレバノン人は、自らの独立国を建設するためフランスの民主主義を学んでいる。しかし彼らは失敗した。独立から72年が経って、共和国との名を冠しているが、大統領、民主主義、国会、選挙が存在せず、今後の見通しも保障されていない国にいることを彼らは気付いている。

今日、議会でも市民間の議論でも、解決案が繰り返し取り上げられている。率直に、レバノン危機の解決は、連邦制か国家の分割以外にはないと言われている。まるでレバノンが、広大な国土と豊富な資源をめぐって敵対する国民性の集団であるかのようだ。

現在、大統領職は閉ざされた門の前に立っており、国内、地域、国際政治のいずれの展望も、(大統領)選出の会議を始めるため、この門を開く可能性をもたらすことはない。

もしこの状況が危険だとしたら、更に危険なのは大統領に選出されうる議員層の半分が、この状況に関心を持っていないことだろう。その中には、というよりその筆頭は、(憲法上の)大統領資格を持つマロン派の指導者であり、議会内最大のマロン派ブロックを統べるミシェル・アウン将軍である。また彼は、他の複数の党派や宗派に属する議員を率いている。つまり彼は、ブロックの長でいるために「国家提携」潮流という状況を手に入れているのである。

(後略)

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( 翻訳者:増田まい )
( 記事ID:38511 )