コラム:コプト教会教皇、エルサレム司教の葬儀礼拝を終えてカイロに戻る
2015年11月28日付 Al-Ahram 紙
聖墳墓教会のタワドロス教皇
聖墳墓教会のタワドロス教皇

■タワドロス(コプト正教会)教皇、エルサレム司教の葬儀礼拝を終えて今日カイロに戻る

【アシュラフ・サーディク】

アレキサンドリア教皇であり、聖マルコの座の総主教であるタワドロス2世は今日の夕方、占領地エルサレムを出て、カイロに戻る。先週の水曜に73歳で死去したエルサレム司教のアブラハム師のための葬儀礼拝を終えて。

教皇のエルサレム訪問は大きな議論を呼び起こしたが、教皇は批判者に対して次のように答え、自らの訪問の目的を明らかにした。エルサレムに行ったのはエルサレム司教のアブラハム師の死を悼みその葬儀礼拝に出るためであり、訪問すること(自体)が目的なのではないと。

また、タワドロス2世は次のように言った。アブラハム師の葬儀礼拝に出席したことには個人的な側面もある。というのは、1986年に自分が(エジプト北部にある)聖ビショイ修道院に入った時、私を最初に出迎えてくれたのが故アブラハム師であり、最初にいっしょに仕事をした修道僧の一人であったからだ。私たちはいっしょに修道院への訪問者の応接を行なっていたが、訪問客を出迎え修道院のなかを説明する際にアブラハム師が見せた明るさに私は影響を受けたと。

教皇はさらに続けた。私たちはアブラハム師を慕うすべての人々を慰めるべく、礼拝を行なう。私らのために祈りたまえ、アブラハム師がその死によって残した大きな空白を埋めたまえ、と祈ると。

教皇の訪問を歓迎する人々は次のように見る。コプト教会のトップによるエルサレム訪問は、コプト教会において第二位の地位にある、偉大な司教に別れを告げるという、総主教としての(当然の)務めとしてである。司祭たちの使節団とともに教皇が別れを告げに行かない、葬儀礼拝を自ら執り行ないに行かないなどということはいかにしてありうるのか。なんといっても亡くなった司教は、聖なる地で、彼を慕う人々のいる場所に、彼が仕えたその場所に葬られたいと言い残したのだから。

その訪問を歓迎しない人々は次のように見る。この訪問は民間レベルでのイスラエルとの関係正常化拒否の状態を壊し、イスラエル・ボイコットを止めることを訴える陣営に道を拓くものだ。教会のトップがエルサレムに行くのであれば、いったい何が、一般市民があの聖なる地に行くことを妨げようか。これから数日の展開は、教皇のエルサレム訪問が純粋な人間的理由による一度限りの訪問なのか、それともアラブのそしてパレスチナの土地に対するイスラエルの占領が終わらない限りエルサレムを訪問しないという教会の姿勢に変更があったのか、を明らかにするだろう。

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( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:39280 )