コラム:女性器割礼を黙認する医師組合の動き
2016年01月09日付 Al-Ahram 紙

■割礼という犯罪を促進する動きが!

【ワヒード・アブドゥルマジード】

割礼を行なっていた際にその少女を死亡させた嫌疑がかけられた医師について、医師組合の懲戒委員会が調査を中止したというのが本当であれば、この決定はこうした犯罪に暗黙の裡に加担することになる。単に責任逃れでは済まない。調査が中止されたのが確かであれば、それが意味するのは、女子割礼という犯罪を推進し、それに手を染める者を保護し、21世紀に依然としてこの犯罪が行われているという驚くべき社会の後進性を確固たるものにするということである。

この奇妙な態度は、あらゆる意味で痛ましいこの割礼という犯罪にのみ示されるわけではない。なぜなら、この社会を後進性から引きずり出すにあたって我々が頼りにしている、まさにその組織が後進性の継続を推進し、自らの役割を放棄しているということだからである。

ジャラール・アービディーン氏がこの問題を扱った「娘たちよ、渇いている」というタイトルの小説を送ってくれたのだが、私がこの調査中止のニュースを知ったのは、たまたま、それを読んでいた時だった。

作者であるアービディーン氏は洗練されたスタイルと劇的な構造をうまく使っている。それはシンプルでありながら、この犯罪についてはっきりとした力強いメッセージを送るという特徴を持っているのだ。エジプト社会は割礼の「ギロチン」へ少女たちを送り込むという犯罪に手を染めていると。

このメッセージのポイントは、次のような点にある。この犯罪の責任は、娘をこの運命に向かわせる父親(あるいは母親)とこの犯罪を実際に行う医師あるいは助産婦の両方にあるという。この点において、この作品のオリジナリティが現れる。というのは作者は、これら二つの最大の責任者を一つの人物、つまり医師である父親に統合して見せるのだ。多くの少女たちに割礼を行なった時に見せた彼の腕前は、なんと自分の娘に割礼を行なおうとした時に彼を裏切る。

というのは、父親は自分の娘をほかの少女たちよりもより「清らかに」したいと望んだのだ。彼はある古い衝撃を引きづっていた。彼は娘の母親と結婚した時、彼女が以前にウルフィー婚(訳注:イスラム法に則らない慣習婚)をしており、すでに処女ではないことを知ったのである。医者として成功した後も、彼の頭は田舎の伝統に縛られたままであった。割礼をしていなかったということ以外、両親の同意もなく早くに結婚をしたという妻の態度を説明するものを見つけることができなかったのである。

そのため彼は、自分が割礼を「完璧に」してやれば、娘を守り、安全な生活を保障してやることができると思うようになった。そして必要以上に範囲を広げ、その結果、娘は感覚を失い、結婚した際、夫に応えることがなかった。

こうして、この医師である父親は自分の娘の人生を破壊し、大人になって妻となり母となる権利を彼女から奪ったのだ。まだ幼く、ゆりかごのなかにいたころに、彼女を辱めたというだけでなく。

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( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:39598 )