オバマの広島訪問は中東からの逃避である
2016年04月14日付 Al-Ahram 紙

■広島への逃避?

【マクラム・ムハンマド・アフマド】

アフリカの古い風習にこういうものがある。洞穴の壁にライオン、トラあるいは何か猛獣の絵を描くだけで無事でいられる、狩りに成功するというものだ。つまりその行為が実現不可能と思われる際に、絵を描くことが実際に行うことの代わり、あるいはその一部になるというのだ。オバマ大統領の遺伝子はその一部がアフリカ系で、それが彼は広島行きに誘う。

それは、第二次世界大戦を終えることになった、71年前の1945年8月16日(ママ)に最初の原爆を広島に投下したこと、14万人を殺したことへの謝罪のためではない。訪問の理由は、オバマ大統領が就任直後の2009年、プラハで行なった演説で大量破壊兵器の無い世界を約束したからなのだ。実際にはこの約束は守られず、おそらく彼は自分の広島訪問が約束の実行の代わりになると思っているのだろう。

オバマ大統領は原爆投下について謝罪しないだろうし、広島の人々は、彼が現職のアメリカ大統領として広島にやってくることを正当化するものなど何もないと見ている。もっとも受け入れられそうなのは、オバマが任期が終わった後、一観光客として広島を訪れることだろう。それはまさに元大統領のカーターがやったことだ。

しかしながらオバマは、(現職大統領として)広島を訪問し、市内の広場で演説することに固執する。自分が訪問することで、ホワイトハウスの目標リストに載っている大量破壊兵器の廃絶という目標を生きながらえさせることができるということで。

補佐官によると、オバマは自分の任期中の歴史の姿に強い関心を持っており、広島訪問とそこでの演説が自らの任期の最高の締めくくりになると考えているようだ。歴史家たちはこの重要な出来事を無視することはできないというのだ。広島の人々と同じく、東京の当局もアメリカ大統領の広島訪問にはそっけない姿勢を見せるが。

オバマがプラハで行なったのと同じような演説をカイロ大学で行なったのは、驚きだった。彼はその中で、安定した安全な中東を約束した。そして新しく生まれたパレスチナ国家がイスラエルの隣で平和に共存していくことになると言った。しかしオバマはこれに失敗した。ネタニヤフ・イスラエル首相との最初のテストで失敗してしまったのだ。

オバマは、中東の平和と安定をホワイトハウスの重要事項リストに載せることをやめ、中東からアジアに逃避することを選んだ。中東はもはやアメリカの利益とはならないという口実で。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:40272 )