エジプト:アレクサンドリア考古学協会
2016年05月07日付 al-Hayat 紙


■アレクサンドリア考古学協会……121年にわたる活動

【アブドゥルハミード・ムハンマド・スブヒー・ナースィフ】

アレクサンドリア考古学協会が設立されてから、100年以上が経った!なんと長く輝かしく、誇るべき歴史であろう。イギリス総領事チャールズ・クックソン卿が、この都市の諸問題に関心を寄せる人々の一団を迎えたのは、1893年4月7日夜6時のことであった。この日は綿花の値段や行政サービスの提供、道路の敷設などの話題に及ぶことはなかった。というのも、この会合には考古学協会の誕生という崇高な目標があり、都市の過去を明らかにし、保存することで、都市を豊かにすることを目指していたからである。

協会設立の考えはこのときが初めてではなく、似たようないくつもの試みが以前から存在していた。1835年には、考古学の研究を目的として「東洋協会」が設立された。この協会は、短命に終わったが、「エジプト協会」という新たな団体を生み出した。エジプト協会の最も重要な業績の一つが、都市とその訪問者のための図書館であった。1857年には「エジプト科学協会」が設立され、一層組織化された形で活動が続けられた。過去の証拠が収集される道が開かれはじめる中で、この都市における遺跡を記録・調査・収集するためであった。

1894年から1898年までの設立当初の数年間は、活発な活動が見られた。当時、協会は、博物館館長のジュゼッペ・ボッティによるポンペイの柱やセラペウム、アピス神の牛の研究を支援していた。このアピス神の牛は、黒い火成岩から作られた美しい一品で、今でもグレコローマン博物館にひっそりと収蔵されている。

(後略)

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( 翻訳者:八巻葵 )
( 記事ID:40407 )