パレスチナ:文学における悲劇と実験
2016年05月24日付 al-Hayat 紙


■ラバイー・マドフーン、パレスチナの消された痕を探して

【ムハンマド・バッラーダ】

小説を書くパレスチナ人にとって、パレスチナの民族的課題に向けて、新たに〔作品を〕生み出すことは容易ではない。この課題は、始まりから悲劇と結び付けられており、いまだその軌道をまわり続けている。そしてこの課題は、悲劇的状況から抜け出し、パレスチナ人を1948年のナクバ以来失われたかつての暮らしへと戻らせる公平な解決策をいまだ知らない。それでもなお、現代パレスチナ文学の活力は、詩と散文において数々の業績を生み出し、こうした創作を「押し付けられた現実性」の隘路から解放し、歴史的悲劇を連鎖する状況の中で高められた美性を持つ人間的感性の大きさへと結びつける地平へと文学を導いてきたのだ……。

小説家ラバイー・マドフーンは、これらパレスチナ人創作者の一団の中に含まれる。彼らは、すべての表現において形式こそが最大の重要性を持つことをよく意識していた。なぜなら、形式は経験の特別な側面を集め、小説の中で導き出される主題への最大の啓示を意識することができない結果として、一般的な枠組みの中では見逃される諸側面や諸光景を指し示すことを助けるからである。

ここから、私たちはマドフーンの実験性の方向性と、テクスト上でこの意識を確認するという彼の願望を理解することができる。それ以上に、以下の著作の副題に加えられた文言に、彼の実験に対する切望が宣言されている。『未来に続くさまざまな道:ホロコーストとナクバのコンチェルト』(クッル・シャイ書店とアラビーヤ社、2016年)

(後略)

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( 翻訳者:平岩里佳子 )
( 記事ID:40536 )