コラム:倫理こそが解決策(2)
2017年02月12日付 al-Hayat 紙

■倫理こそが解決策(2)

【イヴァーン・アリー・オスマーン・ズィバーリー】

ここでヨーロッパのルネサンスに言及すべきであろう。ヨーロッパはそれ以前の時代、血まみれの劇場と化していた。しかし、思想と理性の融合や、理想や意識の地平の開放が進むにつれ、ヨーロッパの社会と諸国家を悲劇的な暗黒の歴史から立て直すべく、倫理に頼ることとなった。今やヨーロッパは、発展、進歩、都市化が最も進んでいる地域である。それは、組織体制や法律が異なるとしても、人間に価値を置くというただ一つの倫理を共有しているためである。人間の価値とは、現象であり局面であり命題である。倫理の同義語は、人間、より明瞭に言えば人間性以外に見つからない。両者はコインの裏表である。

倫理こそが解決策である。倫理こそ、人間と文明を結ぶ制度の欠陥を直すことができる。倫理は、新たな状況を生み出す時、相対主義が包含することのない絶対的な定理とも言える。人間は世代を繋ぐ橋であり、ある世代が生まれるとともにある世代は眠り、文明も新たな文明の発祥とともに消えていく。しかしながら倫理というものは残り、その一部を消し去り、それをその真の意味と矛盾するような他のものと取り換えることはできない。そのような行為は愚かであり、このままでは、諸民族が現在苦しめられている災難や不幸、不自然な状況を改善することはできない。不自然さは、ある赤ん坊は金の匙をくわえて生まれ、もう一方は道端で生まれるという格差の中に存在する。双方の間には、飢餓や無知、意識の欠如、病気に疫病、あるいは裕福さの象徴としての摩天楼などがある。災難や不幸が繰り返され、周期的に起きるということは、倫理に対し、意図的にこれを疎外しようとする力が働いているということである。しかし、将来へ向けての最終的で絶対的な解決策として倫理に依拠することは、血とがれきと立ち上る煙の過ちが正されることの保証になる。

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( 翻訳者:森山花彩 )
( 記事ID:42194 )