レバノン:故郷クファルスィルワーンへの想い(1)
2019年09月24日付 Al-Nahar 紙


■聖テクラ祝祭日に度重なる苦難:「私は自分の村であるクファルスィルワーンに帰りたい」

【ベイルート:本紙】

今日は聖テクラの祝祭日。今日は私自身と家族、そして私の村クファルスィルワーンの守護聖人の祝祭日です。しかし、戦争の苦しみにより私はその村を1日たりとも訪れたことはありません。ええ、私は村の1日たりとも知りません。28年間ずっと、そして今日もまた、私はクファルスィルワーンにある聖テクラ教会を訪問できることを願っています。そして、翌年の祝祭日は違うものになるだろうと、毎回自分自身の中で考えています。苦難自体は消えませんが。

草原にある聖テクラ教会を訪れ、その後帰宅することが私たちの習慣になりました。そしてこの親愛なる聖人の夜、私は引きこもっています。私は生前1日たりともペンを手放すことがなかった祖母ロリスの手稿を思い出します。祖母が亡くなる前、母親を通して贈り物として受け取った聖テクラに関する祈りの本には、私が生まれた日のことや、祝祭日に私と兄が洗礼の秘蹟を受けた日のことが書き留めてありました。祖母が書き記した言葉には大きな苦しみが付随しており、それらの言葉はあらゆる物事、記憶の現像を立証した数々のノートに散らばっていました。「私たちは最初の人生と戦い、戻ってきて二つ目の人生と、そして私たちの子供たちの人生と戦った。そして戦争が降りかかり、その後苦痛が訪れた」。祖母の言葉はこのように記されています。1日たりとも消えることのない苦痛。私はこの女性の孫であるがゆえに、終戦から数年が経過した今でも、祖国、我が家でこのことに縛られています。自分の町を出入りする自由は、そこには存在しないのです。

(2)に進む

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:47625 )