チャドの牛乳売り少女(3)
2021年01月16日付 al-Mudun 紙

■チャドのシンボルとなった牛乳売りの美しい少女…貧困のうちに亡くなる

【ムハンマド・ジッディー・ハサン:本紙】

・千の約束より一の偶然

1950年のある冬の朝、キッローは本名アヒーヤ・ダフルーブとしてトゥクラ村から女性友人らとともに出てきた。その村は当時フォール・ラミと呼ばれていたチャドの首都から15キロの距離に位置している。彼女らは革袋をロバに結びつけ、牛乳を売るため首都へ向かった。キッローは、これがまさか自分を国で一番有名な女性たらしめる旅になるとは思いもしなかった。彼女は金曜日を除き、こぢんまりとした首都で牛乳を売り捌くために毎朝15キロ歩いた。朝11時頃、センダンの木の下で一人座り、皮袋を前においてそれを買い求めるお客を待っていた。その時、写真家ロバート・カーミットは彼女を発見した。遠くから眺めていた彼は、元気や笑いを伴いながら歩いては戻る彼女を観察するために近づいていった。

彼女が恥じ入る間、彼は彼女の写真を多く撮った。なかでも有名な写真は、カメラから逃れようとしている女性の表情を明白に映し出している。写真家によれば、彼に多くの写真を撮らせるよう突き動かしたのは、彼女の風変わりなヘアスタイルと編み込み髪の美しさであった。実際、当時の彼女のヘアスタイルを仕上げるのは非常に難しく、数時間の作業を要するものであり、重要な機会を前にしたキッローを着飾るためチャド人女性がともに座って作業にあたる必要があった。

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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:50565 )