チャドの牛乳売り少女(6)
2021年01月16日付 al-Mudun 紙

■チャドのシンボルとなった牛乳売りの美しい少女…貧困のうちに亡くなる

【ムハンマド・ジッディー・ハサン:本紙】

・彼女はキッロー・バット・アッ=ダキールと呼ばれている

このタイトルのもと、チャドの歴史家アルノード・ディンカマジーは本を著し、その冒頭でチャド人にとってのキッローはフランス人にとってのマリアンヌに等しい存在だと述べている。ディンカマジーは著作権の質問を投げかけ、長年写真を使われていたことに対しキッローが1フランたりとも得ていないと指摘した。キッローは物質的に恵まれることなく亡くなった…彼女の唯一の相続人は数十年間母親の写真を使用した国から何一つものを得なかった。また著者は、セネガル国歌の作詞者レオポール・セダール・サンガールに対し毎年およそ10億フラン支払っているセネガルという見本を提示した。その規定は作詞者死後70年までの支払いを明記している。

今日チャド人はほぼ毎日彼女のことを見ているにもかかわらず、この女性について多くのことを知らない。なぜなら、数十年彼女の写真を使用してきたこの国の歴代政権というのは、なんの働きかけもしてこなかった。彼女のエピソードは教育カリキュラムに組み込まれておらず、彼女についてのドキュメンタリーや映画も存在しないのだ。

キッロー・バット・アッ=ダキールは1995年に亡くなった。

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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:50572 )