シリア:内戦で離れ離れになった兄弟が東京オリンピックで感動の再会を果たしたという報道は作り話?!
2021年07月25日付 その他 - al-Hurra 紙


■「オリンピックの抱擁」...シリア紛争はマースー兄弟を離別させたのか?

【アル=フッラ:AFP通信】

東京で開催されているオリンピックでのシリアの物語は、同大会における最年少選手であるヒンド・ザーザー(12歳)の敗退によって終わりを迎えることはなく、それは2人の兄弟によって再び脚光を浴びることとなった。その兄弟のうちの1人はシリア国旗の下で、もう1人は難民選手団メンバーとしてオリンピックに出場している。

ムハンマドとアラーウのマースー兄弟の写真は金曜日(7月23日)、新型コロナウイルス蔓延の影響により一年延期されていたオリンピックの開会式のさなか、SNS界を席巻した。

一部のニュースチャンネルや国際報道機関はマースー兄弟の写真を公開し、「兄弟は数年におよぶ離別を経験した後、日本の首都で再開した」と報じた。

2011年以来、シリアは約50万人に達する犠牲者を生んだ血みどろの紛争を経験してきた。結果同国ではインフラと製造部門に著しい被害がもたらされ、結果として国内・国外において何百万人におよぶ人々が移住や放浪を経験した。

そして、シリアを去った人々のなかには、ヨーロッパに向かったのちしばらく前からそこで暮らしているマースー兄弟がいた。

東京オリンピックでのシリア代表選手団に同行する広報担当者であり、シリア総合スポーツ連盟(シリアにおける最高位のスポーツ連盟)の広報部門局長であるサフワーン・ヒンディー氏は、AFP通信に対し以下のように述べた。「(マースー兄弟の)写真は我々が想像していたよりも多角的に捉えられることになった」。

さらに同氏は「(流布している)ストーリーはまったく正確ではない。ムハンマドとアラーウはドイツに住んでおり、ともに東京に到着した」と付言しつつ、「彼らの家族の大部分はまだシリアで暮らしている」と述べた。

同氏によると、開会式における面会は「マースー兄弟が自然に行ったもの」であった。しかし、一部のメディアやSNSが「事態を異なった方向へと導こうとした」のだという。

ムハンマド・マースーは、シリア代表選手団のもとでトライアスロン競技に出場している。一方アラーウ・マースーは難民選手団メンバーとして競泳競技に出場している。また難民選手団には、東京オリンピック開会式において(オリンピック)旗を掲げ、2016年においても同選手団メンバーとしてリオ・オリンピックに参加したシリア出身の競泳選手であるユスラー・マールディーニーも含まれる。

ヒンディー氏は以下のように語った。「アラーウ・マースーは難民選手団に加わることを自身で決定した人物である。(中略)彼が『シリア代表選手団に参加したいと求めたにも関わらず拒否された』という言説は正確ではない」。

同氏は続けた。「シリア国外に居住しながらもその旗の下で競技を行っているシリア人選手は多数存在する。たとえば、ムハンマド・サッバーグ(トライアスロン)がそうである」。

AFP通信はムハンマド・マースーに連絡を取ることを試みたが、彼は自身のスポーツ競技に集中したいとの理由でインタビューを断った。彼が明らかにしたところによると、彼は自身のすべてのSNSアカウントを競技のために停止したのだという。

シリア人たちは、自国の選手がこれまでのオリンピック参加の歴史のなかで獲得してきた計3つのメダルという壁を打ち破るという夢とともに、東京オリンピックに突入した。またシリアにとっての最後のオリンピックメダルは、17年前にあたる2004年にアテネで獲得したものである。

シリアは、男子選手5人と女子選手1人によって構成される小規模な代表チームを有している。選手の内訳はマジドッディーン・ガザール(走り高跳び)、マアン・アスアド(ウェイトリフティング男子109キロ超級)、アフマド・ハムシュー(馬術)、アイマン・カルズィーヤ(競泳200mバタフライ)、ムハンマド・マースー(トライアスロン)、ヒンド・ザーザー(12歳、卓球)である。また東京オリンピックにおける最年少の選手であるザーザーは土曜日に行われた卓球トーナメント一回戦において、オーストリア代表で39歳のベテラン選手リュー・ジャに4-0で敗れた。

1948年にオリンピックに初めて参加して以来、シリアはこれまでに3つのメダルを獲得してきた。その内訳は1996年アトランタにおいてガーダ・シュアーウが獲得した金メダル(陸上七種競技)、1984年ロサンゼルスにおいてジョゼフ・アティーヤが獲得した銀メダル(レスリングフリースタイル100kg級)、2004年アテネにおいてナースィル・シャーミーが獲得した銅メダル(ボクシング91kg)である。

シリアオリンピック委員会のフィラース・マウラー会長は、当時同国で発生していた戦争の危機によって、2016年リオ・オリンピックの場合と比較しても、準備段階において数々の困難が生じていたにもかかわらず、(東京オリンピックで)良好な結果が実現されることを望んでいる。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:木戸 皓平 )
( 記事ID:50603 )