詭弁から暴力論まで(2)
2022年09月29日付 Iran 紙


 俳優・映画監督の一人はこう続けた。「なぜ、私が“詭弁”と言っているのか。それは、市民的不服従の概念、すなわち抑圧的な法律に対する意図的な抵抗によって、我々の暮らす政府が成立したということを我々は知っているからだ。私が指しているのは、1342年ホルダード月15日[西暦1963年6月5日]に、ホメイニー師が国民に対して街頭へ出て法律に抵抗するよう求めたこと、そして、1357年バフマン月21日[西暦1979年2月10日]に、国民に対して戒厳令[夜間外出禁止令]を無視し、夜間に街頭へ出るよう求め、このことが革命の成功につながったということである。宗教指導者らは、この2日間を我が国の祝日として制定した。そして40年もの間、市民的不服従という概念を祝ってきたのだ。ところが現在、まさにその国民が宗教指導者らの制定した法律に反対し、街頭に出て抗議しているときに、自らが法律を盾にとるとは、いったいどうしてしまったのか」。しかし、このような反政府メディアの路線と主張にこそ、多くの詭弁が含まれており、無知が露呈している。

 第一に、現在起きている運動には全く実体が伴っていない。抗議者たちは、あるときは当時の革命勢力の言葉を借り、あるときはイスラーム革命に関連する思想を援用し、根本的な変化をもたらすために自らを犠牲にするよう国民を煽っている。このことは、現在の破壊的な運動が理論の乏しさに乗じて、20世紀最大と言われた革命における敬虔な若者たちの行動をパロディ化して見せようとしているということを明確に表している。ところが実際は、この考えが幻想にすぎないということが、彼らの行動によって示されているのだ。

―(3)に続く―

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( 翻訳者:HR )
( 記事ID:54262 )