イラン人女性登山家、険しい山に挑む半生を語る|ヒマラヤ登山の回想(2)
2025年10月29日付 Hamshahri 紙
―(続き)―
◆国際的な登山の開始
ヒマラヤ登山家のイラン人女性は自らの話の別の場面で、自身の国際的な登山について語った。はじめに同氏は、山登りに関して≪征服≫や≪打倒する≫といった単語を使うべきではないと強調した。「なぜなら、私たちは山々に敬意を持ち、山々の許しを得て登山をしているからです」
アフサーネ・ヘサーミーファルド氏は、自身の8,000メートル峰登山は全て単独行であったと述べつつ、次のように加えた。「私がある山を登ろうと決断するとき、ひとつの登山会社と契約を結ばなくてはなりません。この取り決めは、全登山家のために存在しています。契約書にサインをした後に招待状が送付され、ビザや旅行保険の発行からチケットや装備品の購入、最終的には現地への派遣に至るまでの残りの手続きが執られます。これらの会社はシェルパ(ガイドとして登山家に同行するネパールの現地民の集団)を手配してくれるので、私はシェルパと一緒に登山をしています」
同氏は自らの8,000メートル峰初登山として、世界で8番目に高い山、中国とパキスタンの国境において標高8,156メートルを誇る≪マナスル≫を挙げると、次のように付言した。「これは8,000メートル峰への私の初登山でした。この登山の費用を自ら工面しました。その後に、ネパールとチベットの国境にある標高8,849メートルのエベレストに登ることを決めました。この登山のためにスポンサーを見つけようと奔走しましたが、不幸なことに信頼も支援も集めることができませんでした。重い借金を作り、しばらく前までその分割払いをしていました。エベレスト登山後にとある製薬会社が私の資金出資者となり、このスポンサーの存在により、私は他の登山を迅速に終えることができました」
ヘサーミーファルド氏は、過去3年半の間に片時も練習から離れなかったと強調した。「万全な状態を維持するためには、心臓と血管を強化するための有酸素運動や、筋力と体づくりの訓練、さらに岩上りのような技術訓練、氷を伴う練習といった風に、継続的に訓練を積まなくてはなりません本当に過去3年半の期間は、訓練をしているか、または国外で登山をしているかのどちらかでした」
パキスタンと中国の国境にある標高8,611メートルのK2、ネパールとインドの国境にある標高8,586メートルのカンチェンジュンガ、中国とネパールの国境に位置する標高8,516メートルのローツェ、ネパールと中国の国境にある標高8,485メートルのマカルー、中国・パキスタンの国境にある標高8,188メートルのチョ・オユー、ネパールとパキスタンの国境にある標高8,167メートルのダウラギリがその他にアフサーネ・ヘサーミーファルド氏が登ってきた8,000メートル峰である。
◆チョ・オユーでの落涙
「私が峰の頂で抱いた感情は、どれも言葉では言い表せません。もし人々が自分自身も頂上にいるのでなければ、私がその頂上で経験することを体感することはできないでしょう。喜び、誇り、望み、解放といった感情を同時に感じます。地上最高地点に立ち、周囲を眺めると、全てのものがどれほどちっぽけに見えることでしょう。このような感情を登山の中で経験してきましたが、最後の登攀では、つまりチョ・オユーの山頂では、歓喜が込み上げて涙が零れました。この数年間に積み上げてきた努力、背負ってきた苦労、抱いてきた願いによって、今結果が実を結んだのですから。どのような感情であったか言い表すことはできません」
上記は、チョ・オユー登頂後の自身の思いについてアフサーネ・ヘサーミーファルド氏が語った一部分である。
同氏は次のように述べた。「全8,000メートル峰を登攀してから、今でも恋しく思っています。今でも他の山頂、他の条件下、他のプロジェクト、他の登山を経験したいと思っています。愛は疲れを知りません。愛は常に荒波の中にあって動き続けるべきものであり、美しいものです。私は山を愛する者であり、山に飽きることはありません」
レコードを破ったイラン人女性は、金銭的な支援が受けられる場合は、自身の次なるプロジェクトは世界七大陸の7つの高山登攀だとみなしており、次のように述べた。「これら7つの山頂は、かつて私が登った14の山頂とともに、世界ではグランドスラムの名で知られており、最高レベルの山行となります。私の目標は、このレベルに到達することです」
―(3)に続く―
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( 翻訳者:MA )
( 記事ID:61173 )