■サイバー犯罪法改正だけでは不十分…法意識の定着が市民と社会を守る
【ダマスカス:本紙】
旧体制崩壊後、シリアで施行されているサイバー犯罪法の見直しに着手した司法省の対応は適切なものだった。
一人の観測者として評価すべきは、司法省が市民の要求に応え、その声に耳を傾け、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」というイエス・キリストの言葉を実践したことである。
しかし私が懸念しているのは、新法の運用が始まった途端、再びその廃止を求める声が上がることである。これまでの動きをみる限り、政治的立場を理由に拘束された記者や、旧法が定めていた「国民の士気をくじく行為」を理由に拘束された記者はいない。拘束事例はいずれも、侮辱、名誉毀損、中傷に関するものであり、これらは各国の法律でも犯罪とされている行為である。
今後の改正では、司法警察やサイバー犯罪部門が拘束に関与することはなくなるとみられている。ソーシャルメディアなどにおける発信に関する事件はすべて検察に送られ、検察が捜査と事件記録の作成を担当したうえで、拘束や裁判について決定する司法機関に送致される。そこでは、被疑者への尋問、証拠、証人、立証に基づいて審理が行われることになる。
こうした見通しは重要であり、国内外の市民や国際的な観測者に対し、国家の安定を築く取り組みが急速に前進しているという安心感を与えるものである。
しかし、法改正によって中傷や侮辱、名誉毀損の増加を抑えることはできるのだろうか。
私は否定的に考えている。シリアが抱える問題は、法改正だけで解決できるほど単純ではない。法改正そのものが重要であることに疑いはないが、問題の根源には、革命が始まる以前から、法的概念と法の支配が長年にわたり、意図的かつ組織的に社会から遠ざけられてきたという事情がある。ましてや解放が実現した現在、その影響はなおさら大きい。
一部の人々は、制限も規則も存在しない、際限のない自由を求めている。しかし、そのような考え方は、今後の段階に応じて形を変えながら、同じ法的問題を再び生じさせることになる。
その身近な例が、先週レバノンの司法当局が下した判決である。ある記者に対し、名誉毀損、侮辱、人格を傷つける行為について有罪判決を下し、罰金への変更を認めない1カ月の実刑を科した。この事例は、歴史的に表現の自由が比較的広く認められてきた国であっても、報道や発信を通じた犯罪が依然として法的責任の対象になることを示している。
法改正の前後を問わず、同僚の記者が拘束されることを望む記者はいない。しかし、法文化を強化し、定着させ、広く普及させることは、公共空間に関わろうとするすべての人にとって緊急の課題であり、必要不可欠な選択肢である。それは発信者本人だけでなく、社会と報道機関を守ることにもつながる。
現在では、どれほど小規模な商人であっても、開放され、複雑に結びついた市場で活動する際、法的な助言なしには動かない。契約や義務、取引相手、さらには競争相手との関係について、法的な指導と管理を必要としている。公共空間の秩序を保つ方向へ、あらゆるものが変化したのである。
記者には所属機関による法的保護が必要であり、活動家には法律の知識が必要である。ソーシャルメディア上で公開ページを運営する者や、ユーチューバー、インフルエンサーにも同じことがいえる。ここでの関係は相互補完的であり、商人と会計士、あるいは法律顧問との関係と何ら変わらない。
国家が背後関係を把握できない一つのキャンペーンが、安定化に向けた努力を混乱させ、台無しにし、さらには同盟国や友好国との関係で国家を困難な立場に追い込むこともあり得る。
現在に至るまで、報道に関する犯罪を「一袋にまとめる」ような発想で捉える者がいる。これは、いわゆる「テロの温床」という言葉を用いて、われわれの町と住民を侵害した旧体制から受け継いだ文化である。
しかし法律上、それぞれの犯罪は、発生した時期、個別の事情、社会への影響に基づいて判断される。そして最も重要なのは、実際に被害を受けた者と、司法機関に訴えを起こす原告が存在することである。
一般に、報道機関による犯罪について責任を問われるのは、意思決定者や機関の責任者、あるいは情報相である。ところが一部の者は、明確な氏名も肩書も示さない匿名ページを通じて「恥辱のリスト」を作成し、拡散し続けている。
世界のいかなる法律においても、最後に情報を発信した者は、たとえその内容自体が正しかったとしても、罪に問われる可能性がある。そうした者は社会の平穏をもてあそび、自らを国家権力に代わる存在として振る舞っているからである。
いまだ回復の途上にある脆弱な環境へ、再び火をつけようとするかのように、マッチを投げ込む者もいる。私は昨日、あるインフルエンサーが、「そうだ。無許可で撮影することが誤りであったとしても、私は家族の問題を守るためにもう一度同じことをする」と何度も繰り返すのを耳にした。
このような「意地」と呼ばれるものは、時間をかけて解きほぐしていかなければならない。旧法であれ新法であれ、法律だけでは十分ではない。このままでは、司法機関と広範な市民との衝突につながりかねない。その多くは、長期にわたる強制移住の結果、シリア国外に暮らしている。
必要なのは、多様な手段と冷静さ、繰り返しの説明、教育、注意喚起である。さらに、法的な内容を盛り込んだ一連の芸術・文化プログラムを展開することも必要となる。法律の改正と並行して、「意地」を解きほぐしていかなければならない。
司法省が掲げる「権利と自由の保護を保障し、法の支配を強化するとともに、さまざまな形態のサイバー犯罪に対処するために必要な手段を整える、均衡の取れた法文を策定する」という目標は、重要な転換を示している。
市民はこの機会を無駄にしてはならない。法律の分野に目を向け、関心を持つことによって、最大限に活用すべきである。特にサイバー犯罪について知識を深め、法意識によって自らを守り、この分野に関わる団体や機関との交流を広げる必要がある。
われわれ全員が望む安定と法治国家への道として、法文化を普及させ、社会に定着させていかなければならない。
サイバー犯罪法改正の成否は、法文の内容だけに左右されるものではない。市民が、数十年にわたって慣れ親しんできた「治安機関と賄賂で問題を解決する」という文化とは異なる、新たな法文化を受け入れる用意があるかどうかにもかかっている。
確かなのは、法意識の水準が高まるほど、処罰的な介入の必要性が低下するということである。権利と法律上の限界についての知識が、社会全体の行動の一部となるからである。実際、問題と弊害に満ちた旧法の下でさえ、弁護士や法的知識によって自らを守っていた者が拘束される事例は、ほとんどみられなかった。
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( 翻訳者:木戸 皓平 )
( 記事ID:62579 )