ダヴトオール未来党党首、ギュレンとの会見を説明「エルドアンの命だった」

2021年05月19日付 Cumhuriyet 紙

未来党のダヴトオール党首が、何年も前に行ったFETÖ指導者フェトフッラー・ギュレン師との会見について語った。

アフメト・ダヴトオール党首はHalk TVのスアトゥ・トクタシュ編集長が企画した「特別インタビュー」と題する番組に出演した。そこで本紙のバルシュ・テルクオール記者と、Halk TVのスアトゥ・トクタシュ編集長、エミン・チャパ記者、Halk TVのニュース編集者ベンギュ・シャプ氏らの質問に答えた。

バルシュ・テルクオール記者は、ダヴトオール党首がアメリカのペンシルベニア州に行っていた時期を挙げて、「ペンシルベニアに政府から暗黙の了承を得て行くというのはどういうことか」と尋ね、「メフメト・アアル(訳注:民主党の元内務大臣)のような人物は、任命という観点から見て相応しい人選だろうか」と重ねて質問した。

■「この任務は首相から私に与えられた」

ダヴトオール党首は「メフメト・アアルが相応しいかどうか、それは任命する人物の任意だ。私は誰が決定を下したかを知らないので、その正否について私が発言するのは適切ではない」と述べ、次のように発言した。

「トルコの、特に外交について、国際メディアはトルコを責めるような報道をし始めた。トルコ国家情報機構(MİT)の大型トレーラー(TIR)に対して行われた捜査は、私の会談から4ヶ月が経っていた。2012年2月7日にハーカン・フィダン氏(当時MİT事務次官)が事情聴取に呼ばれた後、私は国内で国家機構の見直しが必要だとエルドアン大統領(訳注:当時首相)に進言した。
エルドアン大統領はMİT次官に『行くな』と言ったが、私には外務大臣としての責任があるので、フェリドゥン・スィニルリオール氏(当時外務事務次官)を呼んで『これに対して備えておくように』と伝えた。」

■ダヴトオールはフェトフッラー・ギュレンとの会談を次のように語った

「国際連合への移動中、エルドアン氏と、FETÖの国外におけるプロパガンダと、FETÖがトルコで一つの国家になるような事態をどのように防ぐかについて議論した。我々が達した結論は、FETÖをトルコに呼び戻す必要があるということだった。フェトフッラー・ギュレンと彼のトルコへの帰還について話をした。この任務は首相が私に与えた。私は首相に、歓迎はされないだろうと申し上げた。フェトフッラー・ギュレンには、トルコに戻る必要があると伝えた。2月28日過程(1997年)の条件下でトルコを出国したのだろうが、今のトルコには2月28日当時の措置はもうないと話した。

ギュレンは『私はメディアが伝えるような状況は知らない』と言った。言い逃れのような話し方で、自分がトルコに戻らなければならないような状況ではないと言った。私の感触では彼は戻らないだろうと思った。これをエルドアン首相に伝え、対策を講じるのが良いだろうと申し上げた。この段階で、私と首相の間で見解の相違はなく、私の任務は終わった。首相は自らの命令で私がアメリカへ行ったのだと言っていた。」


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翻訳者:岸本成美
記事ID:51078