オジャランの弟オスマン・オジャラン死亡

2021年11月15日付 Cumhuriyet 紙
テロ組織PKK(クルディスタン労働者党:非合法)アブドゥッラー・オジャラン党首の弟オスマン・オジャランが、[北イラクの]エルビルの治療先の病院で死亡した。

ルダウ・メディア・ネットワークが入手した情報によると、オスマン・オジャランは長期間エルビルの病院で新型コロナウイルスの治療を受けていたと言われている。オスマン・オジャランは、午前4時半に亡くなったと伝えられた。

■脳梗塞を発症

オスマン・オジャランは、7月に脳梗塞を発症したと言われていた。オスマン・オジャランの息子ヴェラト・オスマンは発表を行い、父親の健康状態がここの所悪かったと述べ、発症した脳梗塞が原因で運動機能や会話能力も全て失われたと述べていた。

■トルコへの移送を希望

DHAに語ったオスマン・オジャランの弟メフメト・オジャラン(シャンルウルファ在住)は、兄の遺体がトルコに移送されることを期待していると述べた。同氏は、「私たちの弁護士を介して、[収監中の]兄[アブドゥッラー・オジャラン]にこの状況を伝え、彼から届く返事に応じて対応するだろう。」と述べた。

■オスマン・オジャランとは

1958年にシャンルウルファで生まれたオスマン・オジャランは、1978年にリビアで教育を受けた後にテロ組織PKKに加入した。1986年にPKK中央委員会、1990年にはPKKの上層部に参加しPKKの事実上のナンバー2となった。しかし、1992年にイラクの二つのクルド系主要政党(クルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(KYB))との停戦合意調印後、PKKによって投獄された。

1994年にあるPKKのテロリストと結婚するためテロ組織から離脱した。その後、再びテロ組織に参加したオスマン・オジャランは、2004年に再び離脱した。ここ最近では、オスマン・オジャランは、[トルコの国営チャンネルである]TRTクルドで2019年のイスタンブル市長の再選挙にコメントしたことが議論を生んでいた。


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翻訳者:新井慧
記事ID:51849