シリア:AFP通信のフォトジャーナリストが「殉教者」と「殺された人」を区別するための基準とは(1)

2022年05月11日付 その他 - Snack Syrian.com 紙

■AFP通信のフォトジャーナリストが「殉教者」と「殺された人」を区別するための基準とは?…シーリーン・アブー・アークラ女史の訃報においてウマル・ハーッジ・カドゥール氏が用いた基準

【スナック・シリアン・ドットコム】

AFP通信の駐イドリブ・フォトジャーナリストであるウマル・ハーッジ・カドゥール氏が、占領国イスラエルが占領下パレスチナでジャーナリストのシーリーン・アブー・アークラ女史を狙撃銃によって殺害した事件に関して公開した記事は、同女史の描写をめぐる複数の論争を引き起こした。

カドゥール氏は、同氏がこれまでシリア人の犠牲者に関連して用いてきた表現とは異なり、今朝イスラエルの狙撃銃による攻撃を受けた衛星放送「ジャズィーラ」特派員の訃報を伝える記事のなかで、「殺害」という単語を使用した。これは同放送局の公式声明によって明らかにされたことであり、その後カドゥール氏は同様に彼女が「殉教者」となることを(神に対して)頼んだ。

カドゥール氏の当初の投稿に対し、活動家の「ドゥハー」さんは「殺害」ではなく「殉教」という言葉を用いるようにと訂正を促した。それに対する同氏の返答は、「神は我々人間ではなく、神のもとに召されている人々に対して殉教をお与えになるのである」といったものだった。

ここでカドゥール氏が過去にシリア人の犠牲者について言及してきた記事に立ち戻れば、同氏はこれまで明白に、明瞭に、直接的に「殉教」という単語を用いてきたことに気が付く。例えば同氏は、2021年にジャウド・ヤースィル・シャリートさんがイドリブ市内で命を落とした事件について、次のように投稿した。「テロリスト体制に属する民兵組織がイドリブ市を爆撃した結果、若い女性ジャウド・ヤースィル・シャリートが殉教」。

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翻訳者:国際メディア情報センター
記事ID:53458