シリア:AFP通信のフォトジャーナリストが「殉教者」と「殺された人」を区別するための基準とは(2)

2022年05月11日付 その他 - Snack Syrian.com 紙

■AFP通信のフォトジャーナリストが「殉教者」と「殺された人」を区別するための基準とは?…シーリーン・アブー・アークラ女史の訃報においてウマル・ハーッジ・カドゥール氏が用いた基準

【スナック・シリアン・ドットコム】

同氏は同様にボランティアでありジャーナリストでもあるハマーム・アースィーさんの訃報を伝える際、「ホワイト・ヘルメットのボランティアであったハマーム・アースィーが殉教」と投稿し、投稿の終わりには神に対して彼を殉教者として受け入れるよう望んだ。

これらの立場と、今回カドゥール氏が「シーリーン事件」をめぐってとった立場には明確な違いがある。同氏はシーリーン女史については、まず「殺害」という言葉を用い、その後神に対して彼女を殉教者として受け入れることを「頼み」、つまり彼女が「すでに殉教者である」と明言することは避けた。一方アースィーさんのケースにおいては、彼はすでに「殉教したもの」としたうえで、神に対して彼を受け入れることを「望んだ」。

AFP通信のフォトジャーナリストは、「殉教者」と「殺害された人」を区別するにあたって明確な基準を有していないようである。しかし、「彼らを殺害したのが誰なのか」、あるいは「殺害された人の地域的・宗教的帰属が何であるか」に応じてこうした区別を行うことは、倫理的あるいはプロフェッショナル的な基準に相反する行為であるといわざるを得ない。AFP通信は自社のジャーナリストにこのような基準を適用することを強制しているのか、あるいはこれは彼が自身で設定しているものなのか。

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翻訳者:国際メディア情報センター
記事ID:53459