俳優ウチャル、ベイオール爆弾テロで元妻と娘をなくす

2022年11月15日付 Milliyet 紙
イスティクラール通りで発生したテロで元妻と娘を亡くした俳優のヌレッティン・ウチャル氏が、爆発現場を訪問しカーネーションを手向けた。

テロで元妻のアルズ・オズソイ氏と娘のヤームル・ウチャル氏を亡くした俳優のヌレッティン・ウチャル氏は、事件現場を訪れ、娘と元妻の写真を置きカーネーションを供えた。ウチャル氏は献花場所に来ると、こらえきれずに涙を流した。

ヌレッティン・ウチャル氏はメディア関係者に以下のように話した。

「日曜日この場所で6名の命が奪われた。そのうち2人は私の最愛の人達だった。今日ここにいる私たちは、トルコ大国民議会の中でクルディスタン労働者党(PKK)はテロ組織であると口にできない者たちに比べて勇敢である。国民としても市民としても。私たちは外に出て話すことができる。人々の間を縫って歩くことができる。マイクを手渡されれば[そう]話すこともできる。しかし、[トルコ大国民議会の]彼らはいつも怖がっている。怯えながら話している。」

続けてウチャル氏は人民の民主主義党を批判し、

「クルド人の代表者など必要ない。トルコ共和国は一体である。ラズ人やチェルケス人も含めて一体である。[人民の民主主義党の人らは]人々の間の友好について語る。しかし、私からすれば人民の民主主義党は断じて政治組織とは言えない。トルコで活動する国外勢力の宣教師のようなものだ。」

と話した。ウチャル氏はその後現場を訪れた公正発展党のヌマン・クルトゥルッシュ副党首と面会した。

■テロの瞬間を語る

ヒサルジュク出身のサデッティン・チェヴィッキ氏(59歳)は、爆発で負傷しタクスィム教育研究病院で治療を受けた。その後退院した彼はテロの瞬間を語った。

チェヴィッキ氏は、2か月前からイスタンブル・カヤシェヒルの建設現場で働いていると話し、以下のように続けた。

「日曜日は友達とタクスィムに遊びに来ていた。友人らと別れた後17:00頃、私の約20m後ろで大きな爆発があった。どこもかしこも一面ガラスや窓枠の破片だらけだった。その瞬間衝撃がはしり、あるオフィスに身を隠した。その後タクスィム教育研究病院で治療を受けた。医師によると、爆発の衝撃で右耳の鼓膜が損傷しているが時間の経過で回復するだろうとのことだった。内務省のスレイマン・ソイル大臣は病院に私を見舞い『お大事にしてください。』と言葉をくれた。[大臣は]私に対してどこ出身か尋ねた。とてもありがたい。爆発で亡くなった方にはお悔やみ申し上げる。そして怪我を負った方には一刻も早いご回復をお祈り申し上げる。お陰様で何とか無事だった。」

■「ベビーカーを抱えたが遠くに吹き飛ばされた」

爆発の際にイスティックラール通りを歩いていたアフメト・メルト氏(27歳)は「友人と共に歩いていると突然爆発が起こった。騒然とする中すぐに脇道に逃れた。私たちは自力で病院までやって来た。」と語った。

一方、爆発で自身の娘と妻がけがを負ったというタネル・スィナン氏は以下のように述べた。

「10年ぶりにイスティックラール通りに来ていた。買い物をしようと言って。すると凄まじい音が聞こえた。ベビーカーを抱きかかえたが私たちは遠くに吹き飛ばされてしまった。子どもを抱え走って病院に向かった。道中でバイクに乗った人が私を病院まで送り届けてくれた。不幸中の幸いだ。」

■ベビーカーが木っ端みじんに

A.S.(3歳)と母親のビルゲ・スィナン氏、父親のタネル・スィナン氏は、爆発の瞬間現場に居合わせた。爆発の衝撃によってベビーカーが吹き飛ばされたが、父親のスィナン氏は子供を抱きかかえて妻と共に現場から離れようとつとめた。母親と父親、そして3歳の子どもは軽傷を負い、ベビーカーは木っ端みじんになった。けがを負った子供と母親はタクスィム救急教育研究病院で治療を受ける一方、父親は片耳の聴力を失った。

■父親が恐怖の瞬間を語る

父親のタネル・スィナン氏は突然爆音に包まれたと話し、以下のように続けた。
「想像できないだろう。突然とてつもなく大きな音が聞こえた。ひどい風圧をうけた。ベビーカーはこの手でつかんでいた。ベビーカーを抱きかかえたが私たちは吹き飛ばされた。ベビーカーは事件現場に置き去りだった。ベビーカーを手に取ることはできなかった。再び爆発が起きるかもしれないと思ったからだ。子どもを抱きかかえ走って現場から離れた。子どもは顔と頭を負傷した。命に別状はない。よかった。しかし私は耳、つまり聴力を失ったのだ。」


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翻訳者:金子萌
記事ID:54455