ピエール・ロティの丘、名称変更か? 保守系自治体の大胆提案 
2007年02月13日付 Milliyet 紙

公正発展党所属のアフメト・ゲンチ氏が区長を務めるエユプ区は、約100年使われてきたピエール・ロティの丘という名称を「エユプ・スルタンの丘」に変更するという提案をイスタンブル市議会に提出した。提案が関連する委員会に送られると、共和人民党議員からピエール・ロティという名称廃止の要望は「狂信的」として批判された。
ピエール・ロティの丘に「エユプ・スルタンの丘」という名称を与える事に関して、エユプ区議会によって承認された決議案は、昨日イスタンブル市議会に提出された。提案の冒頭には、「エユプ地区の社会施設やケーブルカーが設置されている丘の「エユプ・スルタンの丘」への名称変更」というタイトルがつけられていた。市議会ではこの提案を地図委員会に送った。この提案は、委員会が作成する報告書と共に、再度市議会に戻され検討されることになる。

■CHP(共和人民党)から反対の声

共和人民党所属のアリ・リュトゥフ・ギュンドードゥ区議会議員は、提案はエユプ区議会に対して提出されたが、まるで「区長」あてに提出されたかのようだと明らかにし、次のように述べた。「私達は提案に反対しました。このような名称の変更は間違っていること、そして世界中でこの場所はピエール・ロティの丘として知られていることを述べました。しかし公正発展党議員はこのような提案を承認しました。」
市議会の共和人民党ケマル・アカル副党首は、「ピエール・ロティは普通の名前ではありません。イスタンブルの文化に刻まれた名前です。2010年に欧州文化首都となるというのであればイスタンブルでピエール・ロティという名前を消してはいけない、守るべきです。この名称変更の背景には狂信主義が潜んでいます。」と話した。名称変更が文化遺産に対して失礼だと述べたアカル氏は、以下のように続けた。
「その土地に根付いた名称は変更しないという基本的な決定がなされたじゃないですか。これを認めたなら、ある日アヤソフィアがアヤイリニへ、名称変更が要求される可能性もあるわけでしょう?エユプ区から提出されたこの提案が、イスタンブル市議会で承認されるとは思いません。」

■市議会が唯一の権限を持つ

大通り、道や広場に名称を付けること、名称を変更することに関する法的権限は市議会にある。下部の自治体は市議会に提案を提出するに留まる。この提案は地図管理局を経由して市議会に提出され、市議会が承認すれば名称が付けられる。

トルコ愛好家ピエール・ロティ

フランス人作家ピエール・ロティ(1850-1923)はトルコを題材に多くの作品を書き、「トルコの友人」として知られる。彼はフランス海軍で長年海軍士官を務め、何度もイスタンブルを訪れていた。二度目の訪問は26歳のときであった。その際、ハスキョイにある貸家で、彼の最初の小説の題材となったアズィヤーデと出会った。1913年に執筆した『悶え苦しみながら死に行くトルコ』という作品ではトルコと西洋との関係が主題となった。
彼が短期間滞在したディヴァン大通りの家や家があった裏通りにピエール・ロティという名前が付けられた。ピエール・ロティは、19世紀末までラビア夫人の喫茶店にしばしば通っていた。時が経つにつれその喫茶店の名前はピエール・ロティの喫茶店として記憶されるようになった。喫茶店と共に丘の名前もピエール・ロティの丘として定着していった。ピエール・ロティの丘には観光施設やケーブルカーが設置された。

■名称変更の提案への反応:オスマン帝国の寛容さも限界

エユプ地区の提案は議論を巻き起こした。歴史財団ハリム・ブルトオール会長と建築家協会イスタンブル支部のエユプ・ムフチュ支部長は名称変更の提案を批判した。

歴史財団ハリム・ブルトオール会長:
地区や大通りの名称を変更することは都市の記憶を消すという事です。名称を変更するということは画一化することであり、多様性をなくすことです。このような事は、トルコが近年失ってきたイメージをさらに失うことに繋がります。これは、トルコにおいてオスマン帝国の寛容さが限界に来ていることの表れです。
ピエール・ロティという名称は、更にイスタンブルの宣伝の為にも大いに重要です。このような名称変更が持ち出されるということは、エスニシティや宗教に基づき都市が見られているという意味です。エユプ・スルタンが大変重要だということは議論の余地はありませんが、丘の名称を変更しエユプ・スルタンという名称を付けることで、エユプ・スルタンの歴史が高まるということはありません。エユプ・スルタン・モスク、広場やモスクに隣接するキュッリィエ(教育施設)が、それに値する価値をすでに与えています。ピエール・ロティという名称もエユプにまた異なった価値を与えています。観光という観点からも歴史という観点からも。

建築家協会イスタンブル支部エユプ・ムフチュ支部長:
大通りや通り、広場の名称は都市のアイデンティティです。私達はこの名称によってその都市の歴史的位置付けや重要性を理解するのです。この名称はその都市に関して過去から現在に向かって書かれた手紙のようなものです。大通り通りの名称を変更することは未来に向かって書かれた手紙をなくすことを意味します。ピエール・ロティの名前は、彼が行ったオスマン帝国への数々の貢献を賞賛するという意味で、その丘に付けられました。ピエール・ロティという名称はその地域の歴史の一部です。どんな形であれ、この名称を消し去るという要求は大いに間違っています。イスタンブルの歴史的アイデンティティを損なうものです。

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( 翻訳者:新井仁美 )
( 記事ID:10157 )