ムバーラク辞任、エジプトの通りは喜びに沸きかえる
2011年02月11日付 al-Quds al-Arabi 紙


■ムバーラク辞任後、エジプトの通りは喜びに沸きかえる

2011年2月11日 『クドゥス・アラビー』紙

【カイロ】

昨日、金曜、ムバーラク・エジプト大統領が数百万人に上るエジプト人の意志に従い、大統領職を辞すること、そして国家運営を軍最高評議会に委ねることを発表すると、カイロを始めエジプト各地の通りは歓喜にあふれた。

先の1月25日以来、ムバーラク退陣を要求する百万人以上のエジプト人が集結するタハリール広場では、歓喜の声が上がり、エジプトの多くの都市で行進が始まった。

副大統領のスレイマーンがムバーラクの辞任および国家運営を軍最高評議会へ委譲する決定を発表すると、エジプト国営テレビは愛国的な歌を流し始めた。その一方で、(エジプト人がそう呼ぶところの)「新しい時代」の到来を喜ぶ市民からの電話が相次いだ。デモ参加者は国旗を振りかざし、ドラムを打ち鳴らし、愛国的な歌のリズムに合わせて踊りだしたが、人々の声はそうした歌をかき消すほどだった。

アシュラフ・フセイン(31歳)は言った。「独裁者のムバーラクがエジプトを去り、今夜は誕生の夜だ。僕たちは朝まで、民衆の意志の勝利を祝うつもりだ。」ムハンマド・アリー(21歳)はこう言いながら、ムバーラク退陣を喜んだ。「腐敗も賄賂も拷問も抑圧もない新しい時代の始まりだ」と。キルロス・イヤード(25歳)はこう見る。ムバーラクの退陣は「圧政と貧困と自由の抑圧の終わりであり、権利を持つすべての人にその権利を与えること」を意味すると。またモナ・ハサン(28歳)はこの日を「普通ではない日。ついに独裁で私たちを苦しめてきたムバーラクではない、別の大統領を見ることになるのだから。」

デモ参加者のほとんどは、近く、国家運営が軍に委ねられることには懸念を抱いていないようだ。

マフムード・サミール(26歳)は言った。「軍は軍だけで国家を運営することはできない。すでに軍はこの1月26日革命が合法的な性格のものであることを承認している。だとすれば、軍は民主制の確立を求める声に応えなければならないからだ。これから軍が行なうのは、ひたすら移行期の保証ということになるだろう」と。

しかしながら抗議行動参加者には軍が権力の座に居座り続けることを懸念する人々もいる。とりわけ1952年以来、エジプトのすべての大統領が軍出身であったことを考えると。ドゥアー・アブドゥッラヒームはこう言った。軍が権力の座に就くことはエジプトが軍政のもとに置かれる危険を意味すると。

また「デモクラシー」誌の編集長であるハーラ・ムスタファーはこの出来事を「現代エジプト史において際立つ歴史的な瞬間」と描写した。またムスタファーはUPIに対して、「歴史は、ムバーラクが民主的な革命によって倒された最初のエジプト大統領だと記憶するでしょう」と語った。

改革派の指導者であるムハンマド・バラダイは革命の成功に関してエジプト国民を祝福し、ハッジの際にイスラム教徒が唱えることばを繰り返した。バラダイはフェイスブックにこう記した。「神は偉大なり。神に感謝。いつの世も神に讃えあれ」と。

アブドゥッラー・サリームはこう見る。「今日起きたことは、民衆の闘いの完成にほかならない。犠牲者の血は無駄にはならない。犠牲者の血がエジプトを独裁と抑圧から解放したのだ。」

先の1月25日に始まった革命は約320人のエジプト人の命を奪い、その間、約5000人のデモ参加者が負傷した。

野党勢力と国民対話を続けようという木曜夜までのムバーラクおよびスレイマーンの呼びかけは結局、主要な政治勢力のいかなる部分をも納得させることができなかった。野党勢力は少しずつ対話の場から出て行った。それが「真剣なものではない」と言いながら。また対話に招かれていないながら最大の勢力と言えばそれは広場の青年たちなのだが、彼らは退陣なしにはいかなる対話をも拒否していた。

昨夜、ムバーラクは憲法の規定に従い、その権限をスレイマーン副大統領に委譲した。そして来る9月の大統領選まで権力の座に残ることを確認したのだが、デモ参加者たちはそれを拒絶し、即時の退陣を要求し、デモと座り込みの継続を誓っていたのである。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:21460 )