社説:カッザーフィー大佐が自国民に語る「血みどろ」の愛
2011年02月25日付 al-Quds al-Arabi 紙

■カッザーフィー大佐が自国民に語る「血みどろの愛」

2010年11月22日『クドゥス・アラビー』

 リビアの指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィー大佐が首都トリポリの中心部にある緑の広場に姿を現し、同氏の写真を掲げその名を叫ぶ支持者らに向けて演説したことは、何ら驚くものではなかった。しかし同大佐が、「リビア国民は未だに自分を愛しており、自分を政権の座に留まらせるために戦う準備が出来ている」と断言したことには驚かされた。

 同大佐は、「国民はムアンマル・アル=カッザーフィーを愛し、自分を名誉や尊厳、歴史、遺産の象徴とみなしている」と一言述べながらも、「私を愛していない国民は、一日足りとて生きる資格がない」とも語った。

 このような言葉は、数百万人のリビア国民がその当人の退陣を求めてデモを行っている事実から目を背け、あるいは少なくともリビア国民の半数が完全に自分の支配下から抜け出したことを信じられないでいる人物以外から発せられることはあり得ない。さらにこの人物は、従兄弟でありながら国民に対する殺害行為を拒否したアフマド・カッザーフダムを筆頭に、外交官や大臣、政府高官たちの大多数が辞職し、民衆革命に加わったことも信じられないでいる。

 リビアが厳しい局面に向かっていることは疑いない。大佐の息子サイフ・アル=イスラームはCNNのトルコ局に対し「父親は何が何でもリビアに残り、そこで死ぬこと以外頭にない」と述べた。しかし同時に彼は父親に対して、諸部族の前に武器庫が開かれて、彼らが武装し、リビアを「真っ赤な地獄」へと変えるのならば、数千人の無辜の民が殺されて血の海となることが予想されると脅迫した。

 デルナ、バイダ、ベンガジ、ミスラタに引き続きザーウィア市でも体制支持者らがデモ隊に対して発砲し数十名が死亡した事件は、アル=カッザーフィー大佐が国民に対して勝利を収めるための計画の中で目論む最大級の殺戮の「お膳立て」に過ぎなくなるだろう。

 残念ながらこのような殺戮は、リビアの危機を国際問題化する上で口実を与えることになるだろう。また、安保理がリビアに対する制裁決議を発動する上での理由や口実を与えることにもなるだろうし、大佐自身や彼に従う治安・軍部隊による残虐な行為から非武装の市民らを保護するためにリビア上空に飛行禁止区域が設けられるであろう。

 もしアル=カッザーフィー大佐が国民によって愛され、権力の座に留まることを強く望まれていると確信しているのであれば、大きな道義的責任を負うことになる。つまり大佐はこの愛に報い、国民の要求に全面的に応じ、国民の血が流されることを食い止め、リビアの大地が一つであることを守り抜かなければならない。

 悲しいかな、大佐はこのような愛を受けてはいない。自由や公正、人権の尊重を求めて推し進められたこの変革を求める革命に参加する中で、数千人が命を落とし殉教者となったことがその証拠である。

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( 翻訳者:松尾愛 )
( 記事ID:21636 )