コラム:私たちは何をしたのか?(1)
2017年06月30日付 al-Quds al-Arabi 紙

コラム:私たちは何をしたのか?(1)

■私たちは何をしたのか?

【イブティハール・ハティーブ】

こんな問いかけを自分がいつかするとは今まで思いもしなかった。自由とアラブ民族主義は、70年代とそれ以前に生まれた私たちの世代が血を流して得た二つの原理であったからだ。自由は我々国民のために、民族主義は我々の地域のためにあった。しかし今日日、以下のような問いかけが、容赦なく現れてくる。つまり、植民地状態が続いていた方が我々の現状はよりよいものだったんじゃないか?私たちは人間的生活と尊厳を守るために、自らの自由、民族主義、アイデンティティー、そして過去を犠牲にしなければならなかったのか?私たちは自分たちの政府の性格、私たちの思考の性質、私たちの血塗られた歴史、そして最も重要である我らが人民の営為を見るために目を見開き、占領者に残ってくれと懇願し、盗人に奪った戦利品を返さないでくれと哀願しなければならなかったのだろうか?

ガザは何度爆撃されるのだろう?アレッポは戦火の下にあり、バグダードには爆弾がまかれている。リビアはもはや国家でもない。エジプトはもはや安全ではない。イエメンはもはやかつて言われた幸福のアラビアではない。これらの問いかけが痛烈なものであり、それゆえにおそらくは政治的に非道徳的だと非難されるだろうとは理解している。それにしても、もし植民地が残っていたとしたら?もし日の沈むことのない大英帝国が土地の所有者であり続けたら、フランスやドイツが残っていたら、もし私たちの言語や慣習、伝統が変わり、宗教が混在したら、私たちの現状は、より良いものであったのだろうか?

私たちが分かれ道にいると考えてみよう。一方は私たちの生活と尊厳、安全と人間性を取る道だ。もう一方は、私たちのアイデンティティーと自治権、自尊心を取る道だ。しかし、私たちのアイデンティティーと私たちを統治するみじめな権利が、私たちに何をもたらしたのか?私たちはガザで死以外に何を果たしたのか。リビアにでは分断以外に何を?イラクでは爆弾、シリアでは破壊と強制移住、レバノンでは分散、イエメンではコレラ以外に何をもたらしたのだろうか。イエメンはかつて、文明発祥の地であったが、今日〔6月30日〕国連人道問題担当調整事務所にこのように言わしめている。「コレラの感染拡大と飢饉の危険が同時に起こったことで、イエメンは莫大な支援を必要としている。イエメン市民こそが、彼らの国を破壊したこの戦争の最も大きな負担を負っているのだ」と述べた。

コラム:私たちは何をしたのか?(2)に続く)

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( 翻訳者:朝武絢奈 )
( 記事ID:42974 )