イスラエル・アメリカとの紛争の影で、テヘラン主席ハハム(=ユダヤ教の聖職者)のイェフダ・ゲラミは、2500年の伝統を守るために、政権と宗教生活の間の神経をとがらせている。彼がリーダーをつとめる何千人ものユダヤ人とイランでの生活を続けるゲラミにとって、「なぜ、イスラエルにもどらないのか?」は、常に頭に浮かぶ問いである。
ハハムであるイェフダ・ゲラミは、毎週、ユダヤ人学校、宗教的規律に従ったレストラン、伝統的なハマームを含む複合施設の一部であり、近年修復されたアブリシャーミー・シナゴーグで祈りをささげるものたちのリーダーを務めている。
この複合施設は、イスラエルやアメリカではなく、イランの心臓であるテヘランにある。アブリシャーミーは、ゲラミが首席ハハムを務めイランで活動する60のシナゴーグのうちの1つである。ゲラミの宗教コミュニティは、政権の脅威とならない形で信仰をたもつ一方で、自分たちのユダヤ人アイデンティティとイスラム共和国の要望の間で、常に、緊張を強いられている。イスラエル・アメリカとの紛争状況は、この構図をされに複雑なものとしている。
アメリカ合衆国の国籍ももつイラン人であるゲラミは、イラン国外で出会った人々が、イスラエル国家を認めず、イスラエルとの接触を犯罪としている国にハハムがいること、さらには宗教的なユダヤ人コミュニティが存在していることを知ると、とても驚くという。ゲラミによれば、イランには約2万人のユダヤ人がいるというが、その他の資料では、この数はずっと少なく見積もられている。ゲラミは「ユダヤ人コミュニティにとって必要なものは、イランにすべてそろっている」という。イラン系ユダヤ人がもっていない唯一のものは、政治的な発言権だ。イスラエル・アメリカと2月に始まった戦闘以来、イラン国外にはじめてでたというゲラミは、「自分は政治家ではない。自分の関心は政治ではなく、ユダヤ人としての暮らしだ」という。
■政治から距離を置く宗教生活
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こうしたユダヤ的生活を続けるには、イスラム政権と暗黙の了解が必要となる。コミュニティは、政治から距離をおき、イランに忠誠を誓い、イスラエルと距離をとる限り、伝統を自由に守ることができる。
国際政治は、イスラエルとその同盟国だけでなく、ユダヤ人そのものを標的とする国で、ゲラミが地政学から距離を置く態度をとっていることに対し、彼を強行な政権の擁護者だみなし非難を向ける。ブリュッセルで開かれた18国が参加した「イスラム政権下のハハム連合会」の会合で話したゲラミは、「そのとおり。時に人々が自分について、そういうことをいうのを読んで知っている。しかし自分の目的は、他の人々がどういうかではない。自分は世界の誰の代表でもない。唯一、自分たちのコミュニティの代表だ」と述べる。
■古代ペルシャの時代から現在まで
イランは、古代ペルシャの時代までさかのぼることができる、世界で最も古いユダヤ人コミュニティのひとつを擁してきた。ユダヤの祭典であるプリムは、約2500年前に帝国下のユダヤ人を殲滅しようとした王国の宰相に対し勝利をおさめてことを記念している。ゲラミは「全ユダヤ人は、毎年、イランのユダヤ人を祈念し祝す」といい、彼らの聖書に名を刻んだ何人かの預言者が、イランに埋葬されていることを指摘する。
もちろん、そのコミュニティは、1979年のイスラム革命以前の10万人をこす人口と比して、相当な割合で減少し、深刻な制限に直面している。イランのユダヤ人は、イスラエルにいる親戚や友人と接触することを禁じられ、訪問の許可が与えられていない。家族や親しい友人を除くとアメリカにいるユダヤ人とも接触することは、一般的には、かなり難しい。ゲラミは、こうした制限が人々の生活に圧力をかけていることを認めるが、コミュニティはこれらに対処できていると述べる。
ゲラミは、イランとの戦争が、全世界のユダヤ人と同様に自分たちの暮らしも困難にしていると述べるが、「奇妙なことと思われるだろうが、イランでは、ムスリムの人々と常に平和的な関係にある」と述べ、イランのシナゴーグでは、世界の多くの国でみられるのとは対照的に、警備・警戒の必要を感じていない、という。
■ 革命後にテヘランへ帰還
イスラム革命の7年後にテヘランで生まれたゲラミは、宗教教育をエルサレムとバルティモアで受けた。2011年以来、イランの首席ハハムを務めている。
アメリカを中心とするイラン・ユダヤ人協会の名誉顧問を務めるサム・ケルマニアンは、ゲラミを何年もよく知っているとし、アメリカに留まる可能性があったにもかかわらず、自身のコミュニティとの絆からイランへの帰還を決めたと語る。ケルマニアンは、「彼は、賢く、エネルギッシュで、若く、非常に宗教熱心な人だ」という。
3人の子の父であるゲラミは、頻繁に旅行をし、行く先々でユダヤ人がなぜイランで暮らすことを選んだのかという驚きの質問攻めにあっている。ゲラミは、「この問いは、間違った前提にたっている」といい、人々がそこに留まる理由は、自身も両親も、そこで生まれたからだという。「私たちは、この文化を知っている。それを誇りにしている。」イラン文化は多様だ。9200万人口は、民族的にも宗教的にも、一つのモザイクだ。
■ シャー時代からイスラム共和国へ、バランスの変化
イランのユダヤ人コミュニティの運命はシャーを倒し、アヤトゥッラーホメイニを政権のトップにした1979年の革命以後、大きな波をかぶってきた。革命前のイランは、アメリカやイスラエルと近しい関係だった。シャーによる概ね世俗的な王国のもとで、ユダヤ人の多くは、大都市に暮らしていた。イスラム教の宗教指導者が教育やその他の分野で発言力をもつその他の地域では、反ユダヤ人感情がつよかったが、これを政府は奨励していなかった。
しかし1979年に革命後の新リーダーたちが、イランでよく知られた実業家の一人で、ユダヤ人でもあるバビーブ・エルガニアンを「シオニストのスパイ」罪で逮捕し死刑にしたことを受け、多くのイラン系ユダヤ人はパニックを起こした。この死刑は、その年、シャーに近い人々に向けた処刑のうちのひとつだった。ホメイニは、イスラエルを、「大悪魔」であるアメリカとならぶ「小悪魔」だとし、全関係を断った。ゲラミのアブリシャーミー・シナゴーグと歩いてすぐのイスラエル大使館は、パレスチナ解放機構に引き渡された。
■90年代から現在まで:正教主義と安全の問題
1990年代には、イランは世界に向けて開かれ、新しいリーダーも生まれ、いくつかの点で変化が現れた。体制は、反イスラエル政策を続けたが、国内におけるユダヤ人コミュニティの存在を、イランが反ユダヤ主義ではないことを示す証拠をして前面に打ち出した。ニューヨークの国連総会にイラン大統領は毎年参加していたが、政権の寛容性を示すために、しばしばユダヤ人国会議員を同行させていた。
ゲラミはアルバニアからナイジェリア、ウズベキスタンまで広がるイスラム教国におけるハハムの連合会が、自分たちの状況を視野にいれる一助となると述べる。連合会で長をつとめるメンディ・チトリックは、「どこの国にも、それぞれの状況がある。イランも、当然、自分たちの条件が存在する。しかし、集まってみると、困難の多くが、共通するものだとわかる」と述べる。
連合会の責任者であるケルマニアンは、イラン・ユダヤ人協会は、17人のユダヤ人が1979年来処刑され、また革命直後を中心に10数人のユダヤ人が行方不明になっていることを確認したとしている。逮捕者は推定2000人にのぼるが、その多くが政治的な理由ではないと付け加える。体制は、1999年に、13人のイラン系ユダヤ人をイスラエルのためにスパイ行為をしてとして逮捕し、うち10人は直ちに有罪となったが、国際的な圧力により、その後、釈放された。
昨年6月のイスラエルとアメリカのイラン空爆、その後、2月来続いている戦争により、再び、困難な状況となっている。体制は、昨年、2025年6月空爆に関連し、モサドのメンバーに接触し情報を提供した疑いで35人のユダヤ人を拘束し、取り調べた。ケルマニアンは、この人々は、最終的に、釈放されたという。
ケルマニアンは、ここ数か月、イランのユダヤ人コミュニティとの接触が非常に制限されており、イランのユダヤ人が外の世界に向けて、たいしたことのない情報を伝える場合においてさえ、細心の注意が必要となっていると述べる。
ゲラニもイスラエル・アメリカとイランの間の戦争が、自分たちにマイナスの影響を与えており、それを困ったことだとし、次のように、最後に述べた。「それでも、私の唯一の目的は、イランにおけるユダヤ人が、一人のユダヤ人として生きる可能性を持ち続けることである。」と。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班H )
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