捜査進むスレイマン派教団とは?
2026年08月14日付 Hurriyet 紙

(アリハン・)クリシュが一部で指導的な立場にあるとされる「スレイマン派教団」に捜査が及んだ。

共和国の初期の時代からトルコで活動してきた教団は、学生寮やコーラン教室で頭角を現してきた。この集団は、自らを「スレイマン派」あるいは「スレイマン・エフェンディの弟子たち」と称し、名前の元となったスレイマン・ヒルミ・トゥナハンは、1888年に現在のブルガリア国境の、ドナウ川沿いのスィリストラで生まれた。彼はマドラサで学び、イスタンブルでは 「デルスィアム」(マドラサの学生や希望する全ての者に授業を行う資格を持つ教師)として働いた。

共和国建国が宣言された後、マドラサが閉鎖されると、彼は教師の職を離れた。その後しばらくして「説教師」として働き始めた。教団の最初の輪はこの時期に形成された。一党制の時代には「非公式」のコーラン教室や宗教教育グループを通じて、宗教集団の規模を拡大させていった。しばしば逮捕され、取り調べを受けることもあった。1950年以降、民主党政権下で比較的「自由な」環境で活動を続けた。その後、この自由な時代にあっても取り調べを受けることがあった。1959年に亡くなり、後継には最初の娘婿であるケマル・カジャルが就いた。

■コーラン教室と学生寮

カジャルの時代には、学生寮やコーラン教室がさらに増えた他、教団の構成員たちは貿易においても活動的になった。国外での活動も始まり、ケルンを中心にドイツで広がった。カジャルは政治から距離を置くことはしなかった。国民党と公正党から国会議員を務めた。彼には子どもがいなかったため、2000年に亡くなると、後継にはトゥナハンの他の娘婿の孫にあたるアフメト・アリフ・デニズオールが就いた。彼も政治から距離をとることはなく、まず福祉党で国会議員を務め、その後祖国党(ANAP)政権で大臣を務めた。デニズオールは2016年に亡くなった。子どもがいなかったため、兄のメフメト・ベヤズト・デニズオールが後を継ぐと見られていた。しかし、妹ギュルデレン・クリシュの息子アリハン(アリ・エルハン)・クリシュが頭角を現した。宗教教育と商業の面で広いネットワークを持つグループ内では、その頃から対立が続いている。

■キルマン教授:拡大した教団の輪

このテーマで博士論文を書いたチュクロヴァ大学のメフメト・アリ・キルマン教授は次のように評価している:「トゥナハンはオスマン帝国の時代に高度なマドラサ教育を受けた人物です。共和国成立後の教育界におけるいくつかの世俗化の施策に対して、苛立ちや批判を持っていました。1930年代からはイスタンブルの大きなモスクで説教師として活動しています。拡大した教団の輪があります。コーラン教室や学生寮を通じて拡大した構造です。彼らはスンナ派に、つまりイスラームの主流派に信仰と礼拝の面で結びついたグループです。この点においては、非常に敏感で妥協しません。そのため、サラフィー主義やワッハーブ主義の派生的な周縁グループとは相容れません。国家と一般的には問題を起こしていないものの、イマーム・ハーティプ校や宗務庁とは対立することがあります。世俗的教育制度についても批判しています。」

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( 翻訳者:丸山 礼 )
( 記事ID:62667 )