≪巻頭≫ダンマゼィディ鐘をめぐる探索法螺話
2014年09月16日付 The Voice 紙

 「ウー・サンリンとその一行は皆を騙したのか?」
 ミャンマー人だけではなく、国際的にも注目されているダンマゼィディ鐘の探索調査が一ヶ月をこし、そうした疑問が生じる状況になっている。
 ダンマゼィディ鐘を発見したと、8月26日に探索調査隊のリーダーであるウー・サンリンは発表した。その日は、もともと定められていた調査期間の最終日であった。
 鐘の探索を始める以前から、その期間内に探し出すと、コータウンの住民であるウー・サンリンは意気込んでいた。彼が明言した通り、最終日に、発見したと発表したのである。
 彼の言葉通り、精霊ナッ、ナガー[竜]と異世界の加護を得て探したという。その後、引き上げのためにと、17日間延長し、さらに時間を要すると言い出した。そして今、その延長期間最終日が訪れた。
 しかし…。
 ダンマゼィディ鐘を陸に引き上げたというニュースは人々のもとに届かなかった。国民は、そのニュースを興味津々待ち望んでいた。しかしかわりに聞かれたのは、不確かな人づてに届く噂だけであった。
 そしていま、最新の情報からすると、鐘の発見は1つの法螺話へと姿を変えた。
 鐘の捜索に参加したタニンダーリ管区域、コータウン住民の潜水夫の半分は地元に戻った。その潜水夫たちの話によれば、海中に泥土などが堆積している一隻の船以外に、鐘に関して、何の手がかりも見つけられていないと言う。その沈没船の中にナガーがおり、ナガーに襲われるからとウー・サンリンが禁じ、脅かしたため、その船の中に潜水夫たちが入ることはできなかったと彼らは話した。
 「船と20フィートほどの離れたところだけを、毎日調査したが、特に何もなかった。他の場所に移って探したいのだが、ウー・サンリンが許可してくれないので、誰もできない」と潜水夫らの中で最も経歴が長く、潜水夫チームリーダーでもあるウー・タンニュンが語った。
 沈没船でさえ、自らが探しあてたものだと、彼が語った。
 「今、見つかっている沈没船も、ある日、ウー・サンリンら、皆が眠っているときに、私が水中に潜り、土砂採掘船と10フィートほど離れたところに、船と思われる鉄の塊を見つけたので、ロープを張り、括って帰ってきたもの」
 それが、自宅に帰った潜水夫4人のうちの1人であるダウェー人、ウー・タンニュンの話である。
 ウー・タンニュンは、ダンマゼィディ鐘の調査に、1987年から4度、参加したことのあるベテラン潜水夫である。
 一連の探索調査において、鐘に関してなにも特別な成果をあげられなかったと言う。潜水夫らとしても、ウー・サンリンの指示通りに従わなければならず、彼らは絶えず見張られていたと、ウー・タンニュンが語った。
 その難破船は、手で触っただけで、鉄板がはがれ落ちるほど、朽ちていて、後日、ウー・サンリンが許可しなかったため、その場所に再度、調査に行くことができなかったと、ウー・タンニュンが語った。
 潜水夫チームにウー・サンリンは、往復の交通費だけしか支給しなかったため、長期に及んだことから、家族の生活のために、彼らは地元に帰ったのである。
 潜水夫らが地元に帰ったというのは事実ではないと、鐘探索調査隊の報道責任者ウー・チィウィンは10月7日に否定した。
 しかし実際には、その日に潜水夫4人はダウェー、コータウンの地域に戻っていた。
 その潜水夫らの話によれば、ウー・サンリンの調査隊の過去の発表は、うそ偽りであったことになる。
 その問題に関して、確認をとるため、10月11日午後に連絡をとったが、調査隊リーダー、ウー・サンリンと、報道責任者ウー・チィウィンらが電話をよこして答えることはなかった。
 鐘にロープをひっかけ縛りつけていること、鐘の調査を邪魔するものがあること、鐘を政府の幹部らが調べることになることを、当初から彼らは発表していた。
 その縛り付けたというロープも、あったとしても、ウー・タンニュンが調査で見つけた沈没船を縛ったロープにしかすぎない。
 「私たちは、今に至るも、実際これといって何も見つけられていない。鐘のようなものは一切見つかっていない。沈没船しか見つかっていない」とウー・タンニュンが語った。
 各社新聞で、第一面に掲載されたサロン族潜水夫らによって探索されているという点も、最終的にうそ偽りであった。
 ウー・タンニンの話によると、彼自身は、ダウェー地域、タイェッチャウン郡、ペー村で生まれたタウェー族であって、他の7人はコータウンの住民であった。
 「それを言うのさ。彼らの話は間違っている。新聞、ジャーナルに書いてあることも事実ではない。私たち8人全員がコータウン出身だと断言できる」とウー・タンニュンがサロン族問題に関して説明した。
 潜水夫8人のうちウー・タンニュン、彼の息子であるコー・ゾーウー、コータウン市から15マイルのところで暮らしているコー・ウィンタン、帰路で姑の容態が悪くなったため、ダウェーにいるコー・カラーらは、鐘の探索劇から手を引いたのである。
 コー・カラーに連絡を取ったとき、彼は、潜水夫のリーダーであるウー・タンニュンが答えた通りで、それ以上の話はしたくないと電話で語った。
 「外部に、話す許可も与えられていなかった」と彼が語った。
 他の潜水夫のコー・ゾーウーも、ウー・サンリンの意向に従って、特定の場所だけでしか探索調査をすることができず、何の代わり映えもなかったため、時間が経って、気が乗らなくなっていったと語った。
 「今回の探索では、鐘に関して特になにも見つかっていないのは、事実だ」と彼が再度認めた。
 情報の発信が透明性を欠いている上述の探索調査に対して、関連政府団体の幹部らの立場からの取り調べもない。許可をした時も、歴史学者、水運技術の専門家、水中からの引き上げのためのエンジニアたちの参加もなかったことも、政府団体は見過ごしていた。
 「政府としては、魚を捕るのでさえ、好きなように捕れといって許可をすることもない。鐘を探し出すといっても、どのように引き上げるのか、どのような計画があるのかということを、確認すべきである」とモン歴史研究協会事務局長ウー・ナインイェゾーが批判した。
 ウー・サンリンの一行は、情報を正確に流さなかったことから、嘘ではないかという疑惑が生じていた。今、何の情報も公表されていないのは、調査計画を中止するための理由を何かしら探しているのではないかとも、考えられている。
 「鐘の発見が事実なら、発表を恐れる理由は何一つない。いまも、ロープで縛ってあると話している。彼らはそのロープを引き上げる勇気がない。いまは、時間を引き延ばしている」とウー・ナインイェゾーが語った。
 鐘の調査のために寄付で集めておいた資金が尽きたという理由で、探索調査事業の計画を中止することができると、同氏がさらに語った。
 1987年から20年以上の間、さまざまな団体が鐘について調査してきた。それら幾時代もの間探索を試みた団体の多くが、資金不足、技術不足などのために中止に追い込まれている。
 探索調査したすべての団体が、ダンマゼィディ鐘を見つけたことを発表して、最終的に立ち消えになり、前述のように何かしらの理由で、中止していくことを、ダンマゼィディ鐘の研究に正面から取り組んできた作家チッサンウィンが語った。
 「誰もが見つけたと言う。最初に調査したウー・チャインも発見したと言った。その後のドー・キンエーテインらも発見したと言った。アメリカのダイバーも発見したと言った。しかし誰も現物をさしだすことはなかった」
 もしも何かの理由のために探索調査が中止されたならば、信用し待ち望んで寄付された何十万チャットもの大金は水の中に捨てられたも同然だ。科学より、秘儀秘術に頼るウー・サンリンの口車に乗せられて、単に妄信することで何千万にものぼる寄進をする人もあらわれた。
 そう信じたことが、実は嘘偽りであったというならば、どのように始末をつけるのか。
 「この問題は、法律上の問題なので、私にも分からない。法律学者たちにきくのが良い」とウー・チッサンウィンが語った。
 今回、調査が成功しないならば、その鐘をまた探す人たちが出つづける。有名な経済事業家であり、議会議員であるゼーガバー社のウー・キンシュエと、チャイッティーサウン長老らも、調査を計画している。モン族も、その鐘の探索調査は民族の責務のひとつと見ている。
 歴史的根拠が明確に残っていないその鐘を探し出すのは、容易ではない。研究者たちの間で、見解の違いも様々ある。3つの川の合流地点で鐘が落ちているのかそうでないのか、ポルトガル人のデ・ブリトーという人物がタンリン市に運んだのか、そうでないのか、それ以前に、そもそも鐘が本当に鋳造されたのかということも、論争になっている。
 それらの点を正確に厳密に研究してはじめて探索すべきだということを、モンの歴史研究協会の事務局長ウー・ナインイェゾーが語った。
 「私は初めから言っている。水上に引き上げない限り信じないと」
 66歳の潜水夫歴20年以上になるウー・タンニュンも鐘の引き上げに関して、信憑性がなくなってきていると語った。どこにも何も見つかっていないときに、鐘が見つかったと発表したことも、彼ら潜水夫チームにとって、不本意なことであった。
 「少し妄語を用いているような感じだ」とウー・タンニュンが語った。

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( 翻訳者:松浦宇史 )
( 記事ID:1028 )