学術シンポジウム「ルオン・ディン・クーア ―民の為、国の為の農学者―」開催
2014年11月05日付 VietnamPlus 紙

 メコンデルタ経済協力フォーラムの活動の一環として、11月5日朝、「ルオン・ディン・クーア ―民の為、国の為の農学者―」というタイトルで、農学博士ルオン・ディン・クーアの生涯とその業績に関する学術シンポジウムがソクチャン省の文化会議センターで開催された。
 農業・農村開発省とソクチャン省党委および同省人民委員会の指導部代表と、200人以上の部門トップの研究者、各研究所・学校の管理者や農業専門家がシンポジウムに参加し、討論した。
 ルオン・ディン・クーア博士の妻で、今年92才になる日本人の中村信子氏もシンポジウムに参加した。
 討論は、ベトナム農業のパイオニアであり故郷ソクチャン省の俊秀であったルオン・ディン・クーア博士の生涯、業績、貢献をめぐって行われた。
 討論では、農業部門の幹部となる人材の訓練・育成の問題に言及されたり、メコンデルタの自然環境に適合し、海面上昇や地球規模の気候変動に適応した、デルタ全域の農業生産の発展を推進する方策が提案されたりした。
 ソクチャン省党委副書記のレイ・タイン・クアンによると、ソクチャン省の政府と人民は、ベトナム革命の偉大な知識人であり故郷ソクチャン省の俊秀ルオン・ディン・クーア博士のことをこの上なく誇らしく思っている。博士が活動した生涯とその貢献は、ベトナムの農業部門の幹部・研究者の見習うべきお手本である。
 故郷の俊秀に尊敬の念を表すため、ソクチャン省はソクチャン市中心部の道路にルオン・ディン・クーアの名前を付けた。博士の郷里のロンフー県の高校と奨学基金にも博士の名前が付けられている。2012年、同省はロンフー県ロンフー町に「農学博士・労働英雄ルオン・ディン・クーア記念館」を完成させた。
 農学者ルオン・ディン・クーアは1920年生まれ。1975年12月28日、ケーサック郡ダイガイ村(現在のロンフー県ダイガイ町)で亡くなった。1945年、九州大学農学部を卒業した。1951年、「新種の稲を創るための遺伝多倍体の処理方法」という研究テーマの遺伝学の博士論文が優秀な成績で通り、九州大学教授会から満場一致で農学博士の学位を与えられた。これは最高の学位であり、当時の日本でこの学位を与えられた唯一の外国人であった。
 1952年、ホーチミン主席の呼びかけに応じて、ルオン・ディン・クーアは妻子とともに帰国し、ベトナムの農業の基盤を作った先覚者となった。
 ルオン・ディン・クーアは、第2期から第5期まで連続して国会議員を務めた。1967年には「労働英雄」の称号を与えられた。1975年に勲一等労働勲章を追贈され、1996年第一回の科学技術部門のホーチミン賞を受賞した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:土岐健太、西田雄一 )
( 記事ID:1142 )