学者グエン・ヴァン・ヴィンが文化的偉人の名誉を受ける
2016年04月27日付 VietnamPlus 紙

 4月27日ハノイにて、ファン・チャウ・チン文化基金とグエン・ヴァン・ヴィンの親族は学者グエン・ヴァン・ヴィンの死後80周年(1936-2016年)を偲ぶ会を催し、彼を現代のベトナム文化的偉人だと称えた。
 学者グエン・ヴァン・ヴィン(1882-1936年)は愛国者で、志士ファン・チャウ・チン(潘周楨1872-1926年)の親しい友人であり同志であった。1907年、グエン・ヴァン・ヴィンは、人民の民智を開き愛国心を惹起するため、ドンキン義塾開設を当局に申請した人であった。
 彼は啓定帝の金聖勲章を拒否し、フランス政府の北斗佩星勲章を2度拒否し、フエ朝廷の尚書(大臣)になるのを拒否した。
 言語・文学の分野では、電信で送れるようにクオックグーの文字を改良するのに成功した最初のベトナム人であった。彼は『金雲翹』全巻をフランス語に訳すのに最も成功した人であった。彼の翻訳はアレキサンドル・ド・ロード出版社から1942年に出版された。彼はまたラ・フォンテーヌの寓言詩をフランス語からベトナム語に翻訳し、20世紀初頭のベトナムにおける「新しい詩」運動を創始した人の一人だった。
 新聞・雑誌の分野では、30年間連続して(1906年から1936年に亡くなるまで)7つの新聞の主筆を務めた。その中には、ベトナム北部で最初のベトナム語新聞『登鼓叢報』(1907年)、純ベトナム語の最初の雑誌『東洋雑誌』(1913年)、ベトナムにおける最初の日刊新聞『中北新聞』(1919年)がある。
 1932年、グエン・ヴァン・ヴィンが主筆を務めていたフランス語紙『L’Annam Nouveau』は、フランスのパリでの植民地新聞・雑誌フェアーでグランプリを獲得した。

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( 翻訳者:今井昭夫 )
( 記事ID:2474 )