1884年〜1945年の文廟—国子監の姿を紹介する
2017年01月16日付 VietnamPlus 紙
文廟ー国子監の遺跡
文廟ー国子監の遺跡

 1月16日午後、文廟—国子監学術活動センターは、多くの盛衰を経てきたこの遺跡について知ってもらうため、1884年〜1945年の文廟—国子監の姿を展示で紹介する。
 100件近くの写真、史料、地図は、この遺跡が激しい戦争を乗り越えたことを再確認させてくれ、不滅の民族の伝統文化の精神的強さを再度証明している。ハノイの文廟ではまず、フランス人の公文書や電報、1884年〜1904年期の文廟の写真を通して、文廟の使用目的が変更されていたことに来訪者は胸の痛みを禁じ得ないであろう。
 この遺跡は時に赤帯兵(*訳注:植民地政府軍の現地人兵士)の兵舎となり、時にフランス遠征軍の鼓笛隊学校、時に市の診療所となり、文廟の土地は分割され、様々な民用目的のために使用された。しかし写真や史料を通じて来訪者はその後フランスが文廟をかつてのような祀りの場所として返却し、文化財に指定したと知ることができる(1904年〜1925年)。
 この遺跡は1905年にハノイ市の保護すべき建造物に指定され、1925年には北部の保護すべき歴史建造物に指定された。展示ではまた、インドシナ総督の保護すべき遺跡の指定事業(1905年〜1925年)やハノイ文廟の敷地や修築業務(1884年〜1945年)について紹介する。
 以来今まで、文廟-国子監は徐々に管理・保存され、価値を発揮し、特別国家遺跡に登録され、82の進士碑はユネスコによって世界記憶遺産(世界の記憶)の栄誉を与えられている(*訳注:2011年)。
 文廟—国子監学術活動センターが所蔵史料を通じて文廟の歴史を紹介するのは初めてのことであり、ハノイ市文化スポーツ局によれば市民や観光客が文廟をよりよく理解するのに役立つものである。
 展示は3月16日まで続く。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:一橋弘人 )
( 記事ID:3238 )