ホアン・ムオイを祀る神殿を国家遺跡に認定することを建議
2017年06月10日付 VietnamPlus 紙
シンポジウムの際の舞台で再現された聖なるホアン・ムオイに仕える演唱
シンポジウムの際の舞台で再現された聖なるホアン・ムオイに仕える演唱

 「ホアン・ムオイ[第十翁皇子]神殿(ゲアン省フングエン県)は、人民の心の中に強く生きており、年間を通して各地から多くの観光客を集めている遺跡である。この遺跡は、国家レベルの歴史文化遺跡への認定を建議するに値する」
 ハノイで今朝(6月10日)開催された学術的なシンポジウム「 ゲアン省フングエン県にあるホアン・ムオイ神殿遺跡の歴史的・文化的価値」において、教授のヴ-・ミン・ザン博士(国家文化遺産評議会副会長)は、このように認めた。
 このシンポジウムは、ベトナム国家芸術文化研究所および (ゲアン省) フングエン県人民委員会が執り行った。

   遺跡の価値の確認

 修士号を持つファン・ティ・アイン文化遺産管理室副室長(ゲアン省文化スポーツ局)によると、ホアン・ムオイ神殿(またはモーハック[鶴の嘴]霊祠と呼ぶ)は、ゲアン省フングエン県フンティン社スアンアム村にある。
 「これはゲアン省・ハティン省地域の有名かつ神聖な遺跡の一つであり、2002年にゲアン省人民委員会により省レベルの歴史文化遺産に認定された」とファン・ティ・アイン氏は語った。
 この遺跡の文化的歴史的な価値をより明確にするために、准教授のグエン・クオック・フン博士(ベトナム国家芸術文化研究所)は、この遺跡は1634年(黎王朝の黎神宗の時代)から大きな規模で建設が始まったと説明した。風水の観念に従い、「頭にラム川を冠し嘴はドンチュ山に重ねる」地勢の、一羽の鶴の頭の形をした土地に建設された。遺跡の各建築物はラム川の方向を臨み(南方)、背後にはキーラン山、ズンクエット山がある。
 多くの歴史的変遷を経験して、現在、遺跡は古い建物の枠を基礎にして、従来の規模で再建されている。神殿および丘陵墓区域からなる総面積は約10,615㎡である。
 この遺跡の最も際立った点の一つは、ベトナム人による聖母信仰と結びついている点であると、ゲアン省文化スポーツ局の代表者は述べた。この遺跡は、まさにホアン・ムオイを祀る場である。
 その他に、この神殿はベトナム人が四府聖母道のヒエラルキーに属する各神位(玉皇上帝、三座聖母、五位王官など)や地方の人神[人が神格化された神](例えば村の城隍[鎮守神]のグエン・ズイ・ラック、グエン・ズイ・ニャンなど)を崇拝する場でもある。
 「四府信仰の中で、クアン(官)ホアン・ムオイは伝説上の人物であり、元々天神であった八海洞亭父王の子供である。父王と第一聖母に仕事を割り当てられ、ホアン・ムオイは世の助けとなるべく降世し、鎮守する任務をゆだねられ、今日のゲアン省地域における神霊を監督した。聖母を祀る祭壇ではどこでもホアン・ムオイの偶像が祀られている」とファン・ティ・アイン氏は語った。
 神殿にはまた貴重な書籍や物が数多く保管されているが、その中で突出して貴重なのは、21の勅封や漢字で書かれた神などの事跡、体系だっている偶像である。歴史的価値があり、審美性も高い。
 別の観点からみると、准教授のグエン・クオック・フン博士曰く「ゲアン省・ハティン省地域にはホアン・ムオイの来歴、一生、功績に関する伝説(多くの異本あり)が存在し、それらはホアン・ムオイをベトナムの歴史上の実在人物(李朝の太祖の息子である威明王李日㫕[リー・ニャット・クアン]、ゲアン省・ハティン省地域出身で、かつて明朝の侵略軍に抵抗した黎利[レ・ロイ]義軍に参加した剛国公・阮熾[グエン・シー]など)と結びつけている」
 「しかし、四府聖母信仰と結びついた霊的文化事業の価値こそが、ホアン・ムオイ神殿の何にもまして特異な点です。他にもその四府聖母信仰は、遺跡に独特の無形文化遺産を作り出しました。それはホアン・ムオイ神殿の伝統的な祭りです」とファン・ティ・アイン氏は述べた。

   ホアン・ムオイ神殿の祭り

 毎年、ホアン・ムオイ廟では祭りの時期が2回ある。それは勅封を迎える祭りと開典[儀式](陰暦3月15日)、および本祭(陰暦10月10日)である。
 シンポジウムでは、ホアン・ムオイ廟の祭りにおける特色の一つはハウドン[降霊の儀式]での演唱活動であるという見解で一致した。
 各研究者が明白に指摘した通り、ハウドン(またはチャウバン儀礼とも呼ばれる)は実質的には、霊性を帯びた音楽(洗練された歌詞)と、しなやかな舞踊および厳かな儀式の結合を基盤にした民間の演唱形式である。そこから人間を恍惚状態に導く。
 これは聖母信仰の、最も典型的で主な儀礼である。この儀礼を通して、人々は自身の願いや渇望を託し伝える。信仰を実践する人々は、この形式が人間の神霊との交流を助けると信じている。その時、タインドン[祈祷師やシャーマンなど]が人間と神霊の中間でその懸け橋の役割を果たす。
 シンポジウムの一環で、ドンタイ[霊的職能者]のグエン・ドゥック・ヒエンさんとクンヴァン[「供文」。楽器の演奏者]、ハウザン[お手伝いの付き人]が、ホアン・ムオイに仕え、演唱した。ホアン・ムオイの公徳と文武両道を称えた。ホアン・ムオイは、演奏や線香、開光に御座し、旗の踊りの時は戦いに恐れず行き、ある時は扇を本にし、ある時は筆を櫛にした。歩きながら詩を詠んだり、もしくは黄色い絹の布をつかみ人々と共に川の上で網を引いたり、などした。
 全国の他のデン、フー[府]と呼ばれる建物での信仰と同様に、ホアン・ムオイの聖母信仰も、現実の生活を信頼して志向し、福・禄・寿を願うものである。そして、「水を飲んでその源に思いをはせる」道理や、国を愛する伝統、団結の精神、コミュニティの意識を体現する。
ホアン・ムオイに仕えるための演唱を行う際、タインドン[祈祷師やシャーマンなど]は、通常、「寿」という形になるように丸くなった竜の形の刺繍がある黄色い服を着る。頭にはカンセップ[伝統的なターバンを冠のように巻いた形のもの]を被り、黄色いベルトを締め、黄色い髪飾りをつける。

   遺跡を保護しその価値を発揮させる

 准教授のグエン・クオック・フン博士は次のように提案した。「ホアン・ムオイ神殿の遺跡と祭りを、ベトナム人の聖母信仰の中の一つの神位をルーツとする遺跡の一つであるという位置づけにふさわしく、格上げするための方策が必要だ。そのようにしたければ、各管理者と専門家は、この遺跡と祭りの歴史的文化的な価値について引き続き研究し、正確に確認する必要がある。ホアン・ムオイを国家レベルの遺跡に認定するよう求める書類を作成し、ホアン・ムオイ神殿の祭りを、国家無形文化遺産のリストに入れるためである」
 この問題についてより深く分析し、准教授のグエン・クオック・フン博士は、次のように明確に指摘した。「現在、ベトナムの聖母信仰の習慣に関連する遺跡が国家レベルの遺跡に認定される際、通常2つの形態に分けられている。歴史遺跡もしくは芸術的な建築遺跡、の2つである。」
 ホアン・ムオイ神殿については、現在、多くの難しい問題があり、ホアン・ムオイの来歴に関して考え方が一致していない。このことは、歴史遺跡の形式(名士の記念物)で遺跡の認定を検討することに困難を生じさせている。このため、フン氏は、研究者は引き続き資料を収集し、ホアン・ムオイの一生と功績について研究する必要があるとの見方を示した。
 「重要なことの一つは、理解を深め、祭りの形成、発展の過程における地方のコミュニティの創造性、役割や、住民セクターの参加について明確にすることだ」とフン氏は述べた。

訳注:記事の原文では、このシンポジウムで行われたホアン・ムオイに仕えるため演唱の動画が見られます。

関連記事:「三府聖母信仰:ルーツから現実まで」
http://special.vietnamplus.vn/thomautamphu

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( 翻訳者:岩切南 )
( 記事ID:3629 )