興道大王・陳国俊の没720周年を偲ぶ
2020年10月06日付 VietnamPlus 紙
国公節制興道大王陳国峻の没720周年の追悼式
国公節制興道大王陳国峻の没720周年の追悼式

 10月6日リーニャン県人民委員会(ハナム省)は、多数の地域の人々と各地の観光客の参加を伴う国公節制興道大王陳国峻の没720周年の追悼式を組織し、毎年恒例のチャン寺院の2020年祭礼を開催した。 
 追悼式において、ハナム省文化・スポーツ・観光局のグエン・ヴァン・チョン副局長は、民族英雄興道大王陳国峻の生涯と業績を回顧する追悼の演説文を読み上げた。
 国公節制興道大王陳国峻は1231年に生まれ、文武に秀で、容貌魁偉、とても聡明で、通今博古、仁義礼智信を十分に集め持った人物であった。能力があった上に国家の柱を維持する事をわきまえた人物だった為、陳朝の4代の王に重用され名声は流れ伝わり、後世まで賞賛され、祀られている。
 陳興道(チャン・フン・ダオ)は愛国心と民族解放の闘争に立ち上がった精神の輝かしい象徴である。陳興道が有能な軍事家であり、傑出した政治家であることは、13世紀の蒙古来襲(1258年、1285年、1288年)に対する3度の抗戦に非常によく現れている。
 国公節制興道大王陳国峻は庚子年8月20日(1300年9月5日)に亡くなった。朝廷は彼を太師尚父、上国公、仁武興道大王に封じた。大越の人民は彼を九天武帝徳聖陳と尊び、彼の多大な功績を追悼する寺院を建立した。人民の心の中で、興道大王は父であり、また神聖な聖人でもある。
 国公節制興道大王陳国峻の没720周年にあたり、リーニャン県人民委員会と人民は「聖なる陳」への追悼の儀礼を行い、故郷、国家の名を輝かせた先人に対する恩義の念を表した。
 「聖なる陳」への追悼の演説の後、リーニャン県ニャンダオ村チャントゥオン村にある国家特別史跡チャントゥオン寺院にて、ハナム省指導部と各代表者および住民らは、興道大王陳国俊の功績を追悼し線香を捧げて敬意を表した。
線香を捧げた後に、リーニャン県人民委員会とチャントゥオン寺院管理委員会は、毎年恒例のチャントゥオン寺院祭2020の開幕式を行った。祭礼の儀式には、告掲礼、神輿渡御、国公節制興道大王陳国俊忌日礼があり、祭礼の余興の中には、伝統的な遊戯である将棋大会、ゴムボールバレー、ボートレース、竹橋渡りなどがある。
 最も多くの人々の注目を集めたのは将棋大会である。これは祭礼の遊戯の前に行われる。遊戯の合図を告げる太鼓の音が鳴ると、選手と村人は寺院の庭に集まる。村は良い家風の長老、職色(訳注:昔の村のエリート層)を選んで開会し、このうち最も高齢な人が主祭となる。
 主祭が「聖なる陳」告掲礼を行うと、後宮(訳注:寺院の奥の宮)から将棋盤が担ぎ出され、供物台の前まで来ると将棋盤を持ち上げて三拝する。その後に将棋が始まる。二人の選手は陳朝期の武将の伝統衣装に身を包み、青龍刀を持って試合に臨む。
 一週間線香をあげた後、勝った者が賞を得る。終了後、将棋盤と駒は寺院の井戸水と五果水で洗われ、丁寧に拭かれてから供物台の上に置かれる。将棋は興道大王の軍事戦略の才を称え、知を鍛え、先祖の外国の侵略に抵抗するという伝統を発揚するものである。
 チャントゥオン寺院祭は地域の人々や各地の観光客が古人の功績を追悼すると同時に、民族の伝統的な文化遺産の価値を保存、維持、発展させる行事である。祭礼は旧暦8月末まで行われる。

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( 翻訳者:千葉智洋、中村健志郎 )
( 記事ID:5513 )