2日連続のデモ鎮圧により、南ダゴンで多くの犠牲者、21名の死亡確認
2021年03月31日付 その他 - ミャンマーナウ 紙
ヤンゴン、3月30日
ヤンゴン、南ダゴン区において、軍評議会の武装集団が威力の強い武器まで使用して、2日連続で銃撃しデモを鎮圧したため、多くの人が亡くなった。そのうえ、遺体を奪われるのを恐れて、慌てて火葬された人たちもいたことが分かった。
昨日、3月29日、南ダゴン区において、軍評議会武装集団が20近くの地区に集団編制で侵入し、夜間まで銃撃、制圧を続け、本日も夜まで銃撃が続いているということが分かった。
南ダゴンのデモに参加していた者、地元住民、救急組織のメンバーと家族から本誌が入手した情報では、わかっているだけで2日のうちに21名の死亡が確認された。
死亡が確認された人のうち名前が分かっているのは、コー・キンフライン(別名)ウェーソゥトゥ(27歳)、コー・テッナイントゥン(41歳)、コー・ネーリンソー(37歳)、コー・ミョーコーコーウー(27歳)、コー・コールィン(26歳)、コー・ティンアウン(28歳)、コー・アウンミョータン(28歳)、コー・アウントゥ(27歳)、コー・ウィントッアウン(19歳)、コー・サンティンナイン(27歳)、ポーラピェ(23歳)、ウー・カラー(40歳)、コー・チョータン(19歳)、コー・ターチョー(20歳)、コー・ウィンウー(引き取り手のない遺体)、コー・ウェーピョゥトゥ(年齢不明)、コー・マウンウー(年齢不明)と燃やされた身元不明の遺体の計18名である。
昨日、負傷した20名ほどを治療したということが、南ダゴンを拠点とする医療チームの関係者の一人から確認でき、バリケードの前列から参加していた一人の青年の話によると、負傷者は少なくとも40人以上に上ることが分かった。
彼は、目の前で、4人が命を落としたのを目撃し、3人は医療チームのもとに運ばれる途中で亡くなったということも話した。
「即死だよ、治療さえしてやれなかった。頭を撃たれた一人は脳さえ吹き飛ばされていた」と彼は話した。
遺体を奪われるという一連の出来事があったため、葬送支援協会と医療チームは、死亡者の氏名と住所をすぐに公表するのをためらっていた。
「状況は、私達にも何も確認できない。自分たちが治療することができた人の状況しかわからない。今、負傷者がいっぱいいる。救援活動をしているグループも数多くある。きちんと話せることは何もない」と負傷した人たちの支援にあたっている南ダゴンを拠点とする医療チームの関係者の一人が本誌に語った。
亡くなった人のうち、昨日午後に南ダゴン、107地区のデモが鎮圧され、銃弾が左胸を貫通して即死した37歳のコー・ネーリンソーもその日のうちに埋葬しなければならなかったと家族の一人は話した。
「遺体は、家族の付き添いもなくチース墓地で急いで埋葬されなければならなかった。家族は家の鍵をかけて、身を潜めていなければならない。遺体を探し回っているというから」とコー・ネーリンソーの従妹が話した。
コー・ネーリンソーの体を直撃、貫通した弾は、後ろにいた人の足にまで当たって、一つの弾丸が、2人の人間に命中したと彼女は話した。
昨日、南ダゴン地区の多くのバリケードを、軍評議会の武装集団が威力の強い武器を使用し制圧したが、本日も銃撃が続いていると地元住民は話した。
南ダゴン72地区の27歳のコー・ミョーコーコーウーも、軍評議会の武装集団による銃撃を受け、頭を撃たれ脳が飛び出してティンガンジュンのサンピャ病院で、昨日午後に亡くなった。
彼の遺体を昨日午後2時に引き取った後、すぐにチース墓地に行き家族、友人ら数名が彼の最後を見送ったと妻であるマ・カインズィンウーが話した。
「誰もが皆、亡くなったらすぐ埋葬する。彼らに遺体を絶対に渡しはしない。中には息子の遺体が戻ってこない親もいると聞く。死んだらすぐに病院に安置もせず、そのまま埋葬する」と彼女は話した。
本日、サンピャ病院に遺体を引き取りに行ったところ、南ダゴン内で銃撃による鎮圧が起きている最中に死亡した遺体が5体あったが、すべて南ダゴンのチース墓地で即座に埋葬されたとマ・カインズィンウーは話した。
亡くなったコー・ミョーコーコーウーは、アルミ工芸店で働く日雇いの職人で、妻と幼い娘二人が残された。
「世界が丸ごと崩れてしまった。あの人を頼りに生きてきたのに。これからどうしていいかわからない。何もまだ考えられない」とマ・カインズィンウーは話した。
昨日午後1時頃、南ダゴン区フローガー大通りにあるバリケードを破壊するためにやってきた軍の車列は、到着するとすぐに、威力の強い武器で銃撃したと、56地区のバリケードの前列で抵抗していた青年の一人が本誌に語った。
「耳鳴りがして、誰もが混乱状態に陥ってしまった。体を動かすことさえできない。立ち上がろうとしてまた座り込んだその時に、銃撃したのだ。人々は吹き飛ばされたような感じだった」とその青年は話した。
地区ごとにある土嚢のバリケードを威力の強い武器で破壊し、中にいる人間を立て続けに銃撃したと彼は話した。
「銃撃音は、我々を一掃し始めたときから夜までずっとやまなかった。鳴りやんだとしても5分か10分程度、前に出ることはできなかった、出たら死ぬだけだった」と彼は言った。
本日早朝にも、56地区の通りの突き当りで、軍評議会の武装集団が燃やした遺体が一体あったが、身元は未だに確認できていない。
Myanmar Now, 2021/3/30
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( 翻訳者:ビルマ語メディア翻訳班(HM) )
( 記事ID:5827 )