職員から見たトゥランガ号事故の経緯、振動と突然の消灯
2024年01月06日付 Kompas 紙
去る1月5日、西ジャワ州バンドンのチチャレンカで、地方列車バンドンラヤがトゥランガ号と衝突した光景を多くの住民が目撃した。現在も、職員は事故原因の特定と、負傷者と死者を含む犠牲者の確認に当たっている。
去る1月5日、西ジャワ州バンドンのチチャレンカで、地方列車バンドンラヤがトゥランガ号と衝突した光景を多くの住民が目撃した。現在も、職員は事故原因の特定と、負傷者と死者を含む犠牲者の確認に当たっている。





KOMPAS.com配信 - トゥランガ55A列車の清掃員であるレンディ・ジュニ・ワルダニ氏(33)は、去る1月5日のトゥランガ号と通勤線列車バンドンラヤ(通称:バラヤ)の事故の瞬間について語った。

事故は、西部インドネシア時間の午前6時03分に、バンドンのチチャレンカ-ハウルプグール間の線路、正確には181+5/4キロメートル地点で発生した。

トゥランガ号はスラバヤ・グブン駅から終点バンドン駅まで運行し、バラヤはその逆でパダララン方面から終点チチャレンカ駅まで運行する。

レンディ氏は、衝突が起きたとき、列車の最後部車両の連結部分にあるトイレを掃除していたと語った。

バンドン県バレンダ郡ランカマンヤル村カンプン・チレバックRT04/02の住民たちは、突然の衝撃に襲われ、何かおかしいと思った。

「突然、何かが激しくぶつかる感触があり、その振動が後ろまで伝わってきた」と同氏は現場近くで語った。

レンディ氏によると、同氏が感じた振動はかなり長く、突然停電したため車内の雰囲気が暗くなったという。

「振動はかなり長く、突然停電し、明かりが消えた」と同氏は言った。

レンディ氏はその時、乗客の悲鳴も聞いたという。列車は横転しなかったので、難なく外に出ることができたそうだ。

事故当時、通勤線列車は3両、トゥランガ号は8両が脱線した。

レンディ氏は、乗客の避難を手伝ったという。
スラバヤからバンドンへ向かうトゥランガ列車には264人の乗客が乗っていた。

バンドン・ラヤの乗客は191人だった。

一方、トゥランガ号の車掌、ディキ・ラムダニ氏は、事故が発生した瞬間の証言をしている。
「バンという大きな音があったはずだが、その後は何も覚えていない。事故発生時は頭が真っ白で、意識がなかった」と、チチャレンカ地域病院で面会したディキ氏は語った。

事件当時、ディキ氏は機関車の後方にいた。衝突が発生してすぐに、ディキ氏はトゥランガ号の乗客全員の安全を確保した。

「幸いなことに、乗客は無事だった。事故現場では、すぐ気づいたが、その後のことは覚えていない」と同氏は言った。 同氏は軽傷を負ったため、現在チチャレンカ地域病院で治療を受けている。

被害者の証言

被害者の一人であるディキ・ラムダニ氏 (33) は、その事故が起きたときのことをよく覚えていないと言う。同氏はその事故による大きなショックを受けたのだ。

ディキ氏は大きな声がしたことだけは覚えているものの、意識を取り戻した時には、もう何も覚えていなかった。

「事故発生時、私は頭が真っ白になり、何も覚えていない。ただ大きな声を聞いただけで、意識が戻った時には何も覚えていなかった」と、バンドン県チチャレンカ地域公立病院で、去る1月5日、ディキ氏は答えた。

事故によって、ディキ氏は右腿と左ふくらはぎを負傷した。

事故発生時、彼はパダララン発、チチャレンカ行きのバンドン・ラヤ通勤線に乗車中だった。
「私は機関車の後ろ(客車列車の第一車両)にいた」とディキ氏は語った。

ディキ氏は、気が付いた時には乗っていた通勤線が崩壊していた、と語った。

「私が見たのは無事だった乗客たちだ。目が覚めた時、頭が真っ白だった。私はまだ事故現場にいたが、あとのことは分からない。そこにいた警備員に一緒にバイクに乗せられ運ばれた」と同氏は話した。

この事故で運転士、助手運転士、乗務員、警備員の計4名が犠牲となった。

一方、乗客の中からは、今のところ死傷者は出ていない。

また、軽傷者は22名だった。 彼らは治療を受けたのち、チチャレンカ地域病院へ18名、エデルワイス病院へ2名、AMC病院へ2名、計4つの病院に搬送された。

無事に避難した乗客はすぐに最寄り駅まで搬送され、インドネシアの国有鉄道KAIが提供する交通手段を利用して移動を続けた。

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( 翻訳者:吉﨑 新菜 )
( 記事ID:6822 )