オーストラリアの研究者、ベトナムの50年の変革に感銘
2025年04月11日付 VietnamPlus 紙
【写真】オーストラリアにてベトナム通信社の記者と歓談中のオーストラリア国防学院(ニューサウスウェールズ大学)所属のカール・セイヤー教授(TTXVN=ベトナム通信社)
【写真】オーストラリアにてベトナム通信社の記者と歓談中のオーストラリア国防学院(ニューサウスウェールズ大学)所属のカール・セイヤー教授(TTXVN=ベトナム通信社)

オーストラリアの研究者、ベトナムの50年の変革に感銘


カール・セイヤー教授は、ベトナムが戦争によって破壊された発展途上国から低中所得国の地位に到達した平時国家へと変革を遂げたと述べた。


【写真】オーストラリアにてベトナム通信社の記者と歓談中のオーストラリア国防学院(ニューサウスウェールズ大学)所属のカール・セイヤー教授(TTXVN=ベトナム通信社)



ニューサウスウェールズ大学オーストラリア国防学院に所属するカール・セイヤー教授は、国家統一からの過去50年(1975年4月30日―2025年4月30日)で、ベトナムが戦争によって破壊された発展途上国から、低中所得国の地位に到達した平時国家へと変革を遂げたと考えている。

彼に最も感銘を与えるのは、「S字型の国土」を訪れる度にいつも、ベトナムが力強く「肌も替え肉も換え」(訳注:劇的な変化を遂げ)ていると感じることである。

教授は、統一後最初の15年は、南西国境紛争、北方国境紛争、アメリカの対ベトナム経済制裁(援助・貿易禁止令)があり、ベトナムにとって困難な時期であったことに改めて言及した。その時期ベトナムは、社会経済恐慌に陥っていたと言える。

しかしカール・セイヤー教授によると、経済基盤の刷新(ドイモイ)と世界への門戸開放および国際統合の実現に向けた国家指導部の戦略性のある先見性を持ったビジョンこそが、ベトナムをその危機から脱出させる重要な要素であった民間部門の発展を容認したのであった。

ベトナムは、硬直した集中計画体制から社会主義を志向する市場経済開発への移行と、同時に外交関係の多様化および多方面化を決定した。

1995年は、ベトナムがアメリカとの関係を正常化し、東南アジア諸国連合(ASEAN)に7番目のメンバーとして加盟した重要な年と見なされている。

外国直接投資を誘致することで、ベトナムは徐々に経済を農業から製造業へと移行し、それによって、貧困削減のための資金を得て世帯収入を増加させることができた。

1975年4月30日のベトナム民族の歴史的戦勝を評価して、カール・セイヤー教授は、この勝利をもたらした核心はまさに民族全体の団結精神の発揮であると述べた。それはまた、かつて、ベトナムがフランス植民地時代の三地域分断を乗り越えるのを助けた「鍵」と見なされている。このことは1941年のベトナム独立同盟の誕生と1945年の八月革命の成功、1945年9月2日にホー・チ・ミン主席が独立宣言を読み上げた出来事、8年にわたる長期抗仏戦争を勝利によって終結させたディエン・ビエン・フーの戦勝によって証明されている。

1975年4月30日の戦勝とは、芸術的軍事戦略と巧みな外交の結合、民族の力と時代の力の活用によると言える。統一後、ベトナム人民軍は南西部と北部の国境への攻撃から国を守り、近代化し、陸上でも海上でも国家の主権を守っている。そのことはベトナムに、東南アジアのどの国もが持てるわけではない大きな力をもたらしている。

カール・セイヤー教授が述べるところでは、ベトナムは各種の戦略的パートナーシップ関係によって対外関係を多様化、多方面化しただけでなく、アジア太平洋経済協力会議(APEC)やASEAN、世界貿易機関(WTO)、その他様々な国際機関への参加を通して、主体的かつ積極的に国際統合を追求していることを示した。この外交戦略はベトナムが二度、国連安全保障理事会の非常任理事国に圧倒的な得票数で選ばれるという輝ける成功をもたらした。ベトナムは、独立、自主性、平和、協力、発展の追求を通して、信頼に値するパートナー国としての国際的な威信を証明することができた。カール・セイヤー教授は、ほとんどの発展途上国はベトナムを憧れのまなざしで見ていると評価した。

カール・セイヤー教授によると、ベトナムの指導者たちは常に「民族の力と時代の力の結合」を呼びかける。国家統一の闘争の中で、ベトナムは確かに伝統的な友人たちからの支援を得たが、国内でも自国の条件に合うような調整を行ってきた。ヴォー・グエン・ザップ将軍は、フランス人をディエン・ビエン・フーで打ち負かすために戦略を調整した。ベトナムはソ連の軍事技術をベトナムの戦場の条件に合うように調整した。

平和な現在にあって、ベトナムは技術移転と生産協力を奨励している。2024年12月に開かれた第2回ベトナム国際国防展示会は、ベトナムが自国の特別な条件に合わせて沿岸ミサイルや無人航空機を改良・開発する能力を有していることを示している。ベトナムはまたすでに、コンピュータチップや電気自動車を製造するための知識と技能も有している。

ベトナムは自国の学生をあらゆる場所に行かせ、第4次産業革命や、DX、電子商取引、人工知能などといった科学技術の革新について学ばせている。

ベトナムは現在、これらの知識を活用することで発展における突破口を開き、中所得国の罠を回避しようとしている。

もし突破口を開き前進できれば、ベトナムは、2030年までに高所得国になり工業化を遂げるという目標を達成し、さらなる高みに至る可能性が高い。

ベトナムが世界経済にますます深く広く統合される状況にあって、1975年4月30日の偉大な戦勝からの多くの教訓を認識し、活かす必要がある。

カール・セイヤー教授は、大文豪ウィリアム・シェイクスピアの言葉を引用して、ここで最も重要な教訓は「自分自身に誠実であれ」だと述べている。

言い換えると、ベトナムは民族的アイデンティティを守り、常に主体的であり続け、文化基盤を失ってはならず、同時に長期的な戦略ビジョンを追求する際には、自国の強みと弱みを評価する能力を常に持っている必要がある。ベトナムは他国から学ぶことができるが、常に自国の国益を守る必要がある。このためには、政治の安定、国民の団結、継続的な適応力、そして重要な革新が必要となる。

カール・セイヤー教授は、「ベトナムは常に困難を受け止めてそれらを機会へ変えてきた」ので、ベトナムの明るい未来を信じていると述べた。


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( 翻訳者:東佳奈 )
( 記事ID:7146 )