アルメニア学術会議中止命令のヤマン裁判長に降格処分(Milliyet紙)
2005年10月23日付 Milliyet 紙

アルメニア学術会議の中止命令を下したサーデッティン・ヤマン裁判長は、降格処分を受け裁判長職を解かれた。ヤマンは、以前のように一裁判官として職務を行う。

ボアズィチ大学で開催予定であったアルメニア学術会議について「参加者や討議内容が明確でない」という理由で中止命令を出したイスタンブル第4地方行政裁判所のサーデッティン・ヤマン裁判長は、他の裁判官が裁判長職に任命されたことから一般の裁判官に降格することになった。同氏の裁判長就任期間はわずか3カ月間であった。

■反感を呼んだ行動
ヤマン氏は裁判官・検察官高等委員会による2005年7月28日の決定によりイスタンブル第4地方行政裁判所の裁判長に任命された。同氏はボアズィチ大学で5月に開催予定であったものの7月に延期された「オスマン帝国崩壊期におけるアルメニア人:科学的責任と民主主義の問題に関する会議」の中止命令を出したことから(世論の)大きな反発を招いた。
サバンジュ大学とボアズィチ大学は開催中止命令の取り消しを求めて異議を申し立てる一方、学術会議は予定より1日遅れて9月24日、25日にビルギ大学で開催された。中止命令も9月26日にイスタンブル地裁により取り消された。こうした経緯からヤマンは、10月13日に司法省の実施したの人事異動によりひっそりと裁判長職を解かれ、イスタンブル地裁の裁判官に降格した。新裁判長にはサバハト・トゥランが任命された。ヤマンは20日間の休暇を取ったことが判明したが、自身の口から見解を聞くことはできなかった。

■大学院を修了
ヤマンは1990年に地方行政裁判所の裁判官となった。最高裁判所の裁判官を務めた後、裁判官としてイスタンブルでの職務を任命された。編入学したビルギ大学法学部を卒業し、同校大学院を修了したヤマンは、司法省法務局の職務に就いた。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:井上 さやか )
( 記事ID:1144 )