Hasan Cemal コラム:国家と宗教、国家と民主主義(Milliyet紙)
2005年10月28日付 Milliyet 紙

イスラームと西洋、イスラームと民主主義、イスラームと改革、諸文明の出会い、これらは9・11以後の世界の課題といえる。2001年にニューヨークのツインタワーがビン・ラーディンによって攻撃されたことで、今日的課題となったのだ。
ビン・ラーディニズム、タリバニズム、そして過激なイスラームを育む根源がいかにしたら絶たれるのか、という問題を議論するさまざまな場が9・11以降設けられた。
こう言い換えることもできる。
対話や思想を生産する新たな場が設立され、市民のイニシアティブが始まった。
その一例としては、ダボスで行われた世界経済フォーラムの枠組みで組織された100人委員会である。年に2度、私も参加しているこの会議では、西洋・イスラーム間の対話に関して知恵を絞っている。
また別の試みが今年、コフィ・アナン国連事務総長によってなされた。「文明間同盟」という名を与えられたこの計画では、一翼をスペインが、もう一翼をトルコが担っている。
両国の首相、すなわち社会主義者のサパテロ首相と、保守民主派のエルドアン首相は、この計画のために来月スペインで開催されるサミットで会談する予定である。諸宗教の間に争いではなく寛容と対話がどうしたら導かれるのかという問いかけが、このサミットの議題にとりあげられる予定だ。

マドリードを襲ったテロの後、昨年、スペインでは新たな基金が設立された。文明間対話を行うアトマン財団である。
財団の目的は、諸文化や諸宗教の橋渡しをすることで、第一回会議を本日開催する予定である。私もパネリストとして参加する午前の部のテーマは興味深い。
「宗教と国家:
宗教国家と民主主義はどれほど折り合いがつくのか?」
このテーマを議論するメイン・スピーカーのうち2人は、トルコのメフメト・アイドゥン国務大臣とスペイン社会労働者党のゴンザレス元首相である。
国の宗教と法をイスラームとして、同時にこの政治形態の名称を民主主義とする、
そんなことあるのだろうか。いやないだろう。
例えば、国会がコーランに適合する法律だけしか施行できず、そして相続法や家族法においてもコーランに適合することが基本とされ、司法の場において男女が不平等に扱われるといったイスラーム法に頼る政治形態を、民主主義とよべるのだろうか?
よべないだろう。
宗教と国家がこのように深く関わっている政治形態には、世俗的特性はないということだ。システムの根幹に世俗主義をもたない政治形態が民主主義であることは不可能である。

しかし特にアラブ世界においては、このように考えない人々もいる。
権威主義的体制は、自らのシステムにある程度のイスラームを吹き込み、一方では民衆うけを狙い、そして他方では民衆に対する政治的イスラームおよび急進的イスラームの影響を減らすことをずっと試みている。
「アラブ世界での民主主義とはこの程度だろう!」と考える人たちは、この方法で民主主義に移行できると考えているのだ。
容易ではない。
難しさは、とくに次の点に現れてくる。つまり、政治の自由化とともに、長年、政府以外の唯一の選択肢として地下に潜っていた急進的イスラームが舞台に出て、選挙に勝つということである。
アルジェリアがその例であり、
そして内戦の可能性がある。
換言すると、
アラブ型民主主義にも限界がある。その限界を無理にこじ開けようとすると、別の選択肢が現れる可能性がある。投票箱を西洋よりも忌み嫌い、宗教と国家を区分しない者たちは、武力をもって政権につく可能性がある。
ここでイラクの例が頭に浮かんでくる。シーア派にとっては、今年の12月に行われる総選挙にはこのような可能性が議題となっている。
今日午前中の議論のトピックは、考えるに、これらのことになるだろう。


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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:1196 )