各地で第82回共和国記念日祝典開催(Radikal紙)
2005年10月30日付 Radikal 紙

トルコ共和国の第82回目の建国記念式典は今年も興奮のなか催された。全国各地で悪天候にもかかわらず老若男女が集まった。アタテュルク廟来訪客の列は一日中続いた。

■国旗に地中海の日が射す
 地中海やエーゲ海地方では、祝典は晴天の中行われた。アンタリヤでは公式記念式典の人波は共和国広場からコンヤアルトゥ通りに誘導された。これに反発した共和人民党、民族主義者行動党、民主左派党のほか、各種市民団体は共和国広場で別個の祝典行事を催した。スピーチのあとで人々は伝統的な楽器の音に乗ってダンスを踊り、それから式典は無事に終了した。スィヴァスでは県が市民に何千枚もの旗を無料で配布した。

■国家首脳はアタテュルク廟へ
 10月29日の共和国記念日を祝うため、アンカラのこの日最初の式典はアタテュルク廟で催された。この式典には、大統領アフメト・ネジュデト・セゼル、トルコ大国民議会議長ビュレント・アルンチ、首相タイイプ・エルドアン、共和人民党党首デニズ・バイカルが参加した。その後一行はトルコ大国民議会へ移動しながら人々の祝福を受けた。トルコ大国民議会では前夜遅くまで働いていた議員たちは式典への参加をとりやめた。式典には多くの大学学長や軍部関係者が参加した。
 セゼル大統領はその後競馬場へ移動した。ヴァンの百周年大学学長ユジェル・アシュクン教授の逮捕騒動から起きた一連の緊張は、この日の祝典にも影響を及ぼした。競馬場での記念式典では来賓席に欠席が目立ち、セゼル大統領にお祝いを述べる際も政界トップの人々は握手しなかったことが関心を引いた。

■イスタンブルでは雨天にたたられる
 イスタンブルでの共和国記念日祝典はヴァタン通りで行われた。式典開始直後本降りとなった雨は、集まった人々を苦しめた。予定されていた表彰式やダンスは雨天のため中止された。雨足は徐々に強まり、人々には雨具や傘が配布された。イスティクラル通りではさまざまな政党や市民団体がガラタサライ高校前からタクスィム広場までデモ行進を行った。

■震えながら祝福
 チャナッカレでは、凍えるような寒さのなかで共和国記念日式典が行われた。3月18日スタジアムでの式典では、強い北風にもかかわらず1000人近い人々が集まった。1時間の式典のあいだ、グラウンドの中ほどに集められた正装した生徒たちは凍える手を息で暖めようとしていた。生徒たちは「私たちの共和国のためならば」と話していた。

■雪のため屋内で開催
 エルズルムやカルス、アルダハンでの式典は、豪雪のために屋内で行われた。式典は、エルズルムではエルズルム高校文化センターで、カルスではスポーツクラブで、アルダハンでは国民教育センターで開催された。黒海地方東部では激しい雨のため、リゼやギレスンでは屋内のスポーツクラブで、アルトヴィンでは映画館で行われた。

■メフテルをかけすぎて…
 アマスヤでは、6月12日スタジアムで開催された式典に人があまり集まらなかった。そのうえ集まったわずかな国民も、拡声器で1時間近くにわたってメフテル〔訳注:オスマン帝国時代の軍楽隊〕の音楽が流されたことに抗議して、ほとんどの人が式典が始まる前に会場を後にした。集まった国民は「メフテルに反対ではありません。しかし、あまりにずっと流しているので、何か政治的な意味があるように思いました」と語った。こうした反発が起こってから、放送はやんだ。ジェラレッティン・レケスィズ知事は「調査します」、公正発展党のイスメト・オザルスラン市長は「たいした問題ではない」と語った。

■コンヤでは悲しい出来事
 アタテュルク・スタジアムの祝典では、来賓席で任務に当たっていたゼキ・ワルギン兵が突然失神した。救急看護スタッフが救命措置に当たったが、ワルギンは救急車で病院へ搬送される途中で死亡した。ワルギンの死因はまだ不明である。



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( 翻訳者:宇野 陽子 )
( 記事ID:1201 )