Derya Sazak コラム:スカーフ問題をめぐる議論で首相を「サドラザム」と批判(Milliyet紙)
2005年11月17日付 Milliyet 紙

 めまいを起こさせる飛行機の旅が、ついにはこのような「事故」の原因となるのは明らかであった。
 世俗主義である共和国の首相が、欧州人権裁判所のスカーフに関する決定を説明した際、「(イスラーム帝国であった)オスマン朝のサドラザム(大宰相)」のように語った内容は次のとおりである。「欧州人権裁判所はこの件について意見を述べる権利はない。宗教関係者に聞けばよいのだ。この件について、宗教には本当に命令を下す文言があるのか?と。あるならば、あなた方は敬意を払わねばならない。意見を述べる権利は宗教有識者にある。」
 エルドアンは、レイラ・シャーヒン裁判で、トルコ側に正当性があるとする判決を批判する一方、「存在しない宗教有識者」の側に自らを含めて、「少しこの分野の教育を受けたことがある。私が述べているように、宗教にはこういった規定がある。この分野に全く関係のない人々が、イスラームの宗教的知識人たちの意見を聞くことなく、決定を下したことは間違いであったと私は考えている」と述べた。

 大学でイスラーム風スカーフが禁止されている件で、憲法裁判所はある決定を下した。レイラ・シャーヒンという(イスタンブル大学)医学部学生の権利を求めて欧州人権裁判所に提訴し、そこではスカーフを「イスラームのシンボル」と見なすことに同意し、トルコにおけるまさに世俗的な秩序を擁護する決定を下したのである。
 この過程にはもう一つ、国内法という側面がある。
 憲法裁判所の前長官であったアフメト・ネジュデト・セゼル大統領を始めとする法律専門家たちは、欧州人権裁判所がスカーフ議論にピリオドを打ち、法的手段を閉ざしたことを擁護した。
 今後は憲法改正によってのみ、スカーフを着用する自由が与えられうる。
 だがこれも困難だ。
 憲法第24条の「国家秩序を宗教規則に依拠することはできない」とする条文、基本的人権と自由に関する第14条、そして、トルコ共和国の「民主的、世俗的、法治国家」という性質を列挙している第2条は、スカーフに関する改正を承認していない。

 公正発展党政権は現在、法律を無理に通そうとしている。
 アブドゥッラー・ギュルとビュレント・アルンチが、欧州に異議を申し立てた声明の後、エルドアン首相がさらにもう一歩踏み込んだ。 つまり宗教有識者の意見を参考にせよと指示したのである。
 権力を振りかざす有様を、今こうして見ているのだ。エルドアンはケルン滞在の際、「パリの火事」を解説しようとし、フランスにおける事態を「スカーフ」問題に結びつけたのであった。
 今回もコペンハーゲンで、イランを真似る形で宗教的見解が法を上回るよう働きかけ、ファトワー(イスラームの法学裁定)の擁護を期待している。
 夢でスーフィー教団のシャイフを見たという大学教授の書簡を、首相府が「要望に応えるために」と高等教育機構へ送ったのは馬鹿げていた。
 エルドアンは何故こんなことをしたのか?
 コペンハーゲンではロジ・テレビの特派員が記者会見場にいたために、ラスムセン・デンマーク首相と行う予定だった共同記者会見を取りやめたことも注目された。
 宗教的で過度にナショナリスティックな主張の高まり。
 政治の不在。
 シェムディンリの事件が南東部に広がることを適切な時期に予想することもできない。
 エルドアン首相はアンカラで沈思黙考しなくてはならない。トルコは何処へ向かうのか?繰上げ選挙か?と。



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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:1329 )