İsmet Berkan コラム:スカーフ問題を解決するか黙るか(Radikal紙)
2005年11月17日付 Radikal 紙

(訳者註:長年トルコで議論を呼んでいるスカーフ問題についてのコラム。詳細は12日「エルドアン首相、大学でのスカーフ着用をめぐる欧州人権裁判所の判決に不快感」記事、13日「大学構内でのスカーフ着用は自由になるか?」コラムを参照。)エルドアン首相が昨日、おとといのコペンハーゲンでの発言をスポークスマンを通して訂正し「表現が行き過ぎた」と述べたのはもちろんよいことだ。しかしスカーフ着用をめぐる議論はこれで終結するようには思われない。

このコラムを以前から読んでいる人には周知のことだろう、私はスカーフ問題は80年代からこれまで中道右派やイスラム主義路線で政治活動を行っている者たちによって利用されてきた事項であると考えている。そういった政治家たちはこの問題を解決する代わりに身をすり減らし争うことを選び、ある意味ではスカーフを被った若い女性たちを政治的に利用してきたと私は考えている。

このような利用はもはや終わりにするべきである。政権についている公正発展党(AKP)はこの問題を解決するか、もしくは今解決することはできないと打ち明け、トルコに政治的緊張をもたらさないためにこれ以上は発言しないと宣言するべきである。

13日にも書いたことだが、欧州人権裁判所の先の判決でスカーフ問題には終止符が打たれたなどということはないのだ。トルコ大国民議会は大学でのスカーフ着用禁止法を議論の余地を残さない形で廃止することもできる。欧州人権裁判所の判決はその障害にはならない。議会にとっての唯一の障害はトルコの憲法体制とその見張り役である憲法裁判所だ。

もし政府や与党の、法に詳しい議員が憲法裁判所の妨害を乗り越える道を見つけられたなら直ちにその道を進むべきだ。これも13日に書いたことだが、スカーフ問題に関しては共和人民党はだめだが祖国党や、もしかしたら正道党もAKPに協力するだろう。そもそも祖国党の協力さえあれば大統領の拒否権を無効にできる367票に届くのだ。ちょうど昨日祖国党の党首エルカン・ムムジュが「法案を持ってきてくれれば手助けする準備はできている」と述べたところだ。

今根本的な議論は、憲法改正によって、憲法裁判所が1989年に出した判決を覆すことが可能なのか否かだ。私はできないと考えている。しかしこの点については私は素人だ。憲法学者たちや、憲法裁判所の解釈を細かに追っている人、判決の導き方をよく知る専門家たちがこの疑問に答えてくれることだろう。

もし1989年の判決を覆すことが可能ならばAKPと祖国党は今すぐその手続きを開始し、憲法を改正するべきだ。もちろん憲法改正には国民投票が必要であることも忘れてはならない。国民投票は改正に賛成と出るだろうか?国民投票のもたらす政治的緊張はトルコの経済的安定にどう影響するか?スカーフ問題を国民投票にかけることはAKPへの票を増やすのか減らすのか?これらの問いに私は答えることができない。

いや、もしAKPの法律家たちも私のように考えているのなら、つまり1989年の判決を覆すことができないのなら、または憲法改正による不利な点やリスクがAKPにとってあまりに大きいのなら、すぐにスカーフ問題の議論は控えるべきだ。つまりAKPは問題を解決するか、口を閉じるかにするべきだ。同様に首相も…解決するか黙るかだ。

私に言わせてもらえば、起こりうる国民投票の政治的・経済的リスクは置いておくとしても、そもそも憲法改正によって1989年の判決を乗り越えることはできない。なぜなら何をしたとしても、大学構内でのスカーフ着用について定める高等教育協議会(YÖK)の法の適用を変えるためには法律の改正が必要だからだ。この法律が憲法裁判所を通過するとはまず考えられない。

実は、AKPが大学でのスカーフ着用を自由にするためには憲法改正の他に、長い時間と、その間自分たちの味方になってくれる新しい大統領が必要なのだ。新大統領は憲法裁判所とYÖK の結託を変えるキーパーソンになるだろう。この2つの機関が変われば大学では何でもできるようになる。なぜならご存知のように、学長も大統領が任命しているからである。憲法改正を国民投票にかけるのも大統領である。つまりAKP出身の大統領がいればスカーフについては事を楽に運ぶことができるのだ。それを忘れないで欲しい。明日に続く…

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( 翻訳者:加賀谷 ゆみ )
( 記事ID:1344 )