Doğan HIZLANコラム:光陰矢のごとし、77年の歳月が過ぎた -写真家アラ・ギュレルとは
2005年11月03日付 Hurriyet 紙

アラ・ギュレルの77歳の誕生日、2005年8月16日、ガラタサライにある写真ギャラリーで特別写真展が行われた。
展示を見学して私が書いたコラムが「アラ・ギュレルの古典作品」(8月19日掲載)だった。展示会カタログが出版されるということもコラムの中で書いた。そしてついに待ちに待ったカタログが手元に届いた。

アラ・ギュレルについていろいろと書いてきた。彼について書くときには毎回、彼の人物像についてのある一面や詳細を新たに発見したものだ。

「光陰矢のごとし、77年の歳月が過ぎた」というタイトルがつけられたカタログの冒頭には、ハサン・シェンユクセル氏による「出版者の覚え書き」がある。その覚書から一部をここに引用する。

「誰かがアラ・ギュレルに『あなたは芸術家です。』というと、彼は『いや私はフォト・ジャーナリストです。』という。これは謙遜だろうか?私は違うと思うのだ。
出版物を活躍の場とする写真家のなかで、アラ・ギュレルを他から分け、特別な写真家とするものは何なのか。はじめてみた写真に対して『これはアラ・ギュレルの作品だ。』と感じるのならば、何に対してそう感じているのだろうか。
我々がこのように感じるのは、アラ・ギュレルのもつ技のためである。その技は、被写体の真髄を深く理解した繊細な心で写真を写し出すというものである。」

***
「ベスト・オブ・アラギュレル」のカタログでは、イスタンブルが、トルコが、世界が、そしてもっとも重要な人々が写真にされている。
私は、フリツ・グルバーがアラ・ギュレルについて語った言葉に心から同感するのだが、それは非常に的を得た描写である。フリツ・グルバーはこういった。
「実際のところ、アラ・ギュレルは、世界のいたるところで写真をとったが、彼の心はいつも生まれ故郷、ボスフォラス海峡にあるあの夢の都市で脈打っていた。
そして、思うにアラ・ギュレルの作品に感じる力強さと情熱は、故郷に対する想いから来ているのだ。」

何度となくイスタンブルをアラ・ギュレルのファインダーを通して眺めた。家なき者たちや労働者たちをみたときに、うらさびしい地区に生きる小説の主人公を思わせるどんよりとした表情に考え込んだものだ。

「古いイスタンブルの思い出」を目にしたとき、本当にこの都市をアラ・ギュレルほど歴史と関連付け、その変化とともに見せた写真家はいないと思った。

イスタンブルの輝かしく派手な生活といった一過性の写真は彼の作品にない。長く残っていくと思われる人間の特徴を写真にする作家にとって、そのようなものは必要ない。

写真作品を鑑賞する前に、アラ・ギュレルが写真に対して言った言葉を必ず読むとよい。彼のシャッター・ボタンが心と結びついていることを、文頭ですぐに気付くことだろう。

作家が自分の撮ったものを愛していなければ、そのことは写真にすぐ反映される。
アラ・ギュレルの作品が証明していることは、写真というものが撮影技術など写真に関することだけを身につけるだけでは不十分ということだ。彼は、自分の撮影する被写体を知りつくし、そして被写体の能力を知り、さらにはいつもっとも特徴的なボーズを撮影できるかを知っている。我々が目にするアラ・ギュレルの作品には、この技が映し出されているのだ。

アラ・ギュレルの言葉は、若手の写真家はじめ、すべての人に役に立つ言葉である。アマチュアであっても、どのように写真をとるべきなのか、写真をどのように干渉するべきかをこれらの言葉は我々に教えてくれている。

「人に対する愛情をなくしてしまったら、なにも重要なことはなくなってしまう。もっとも重要なことは、人間愛である。すべてがこれにつながっている。人間愛が深まれば、写真も上達していくだろう。
なぜなら写真に関するすべてが人間のためだからだだ。
愛情のない人間では写真をとれないし、人間がいなければそもそも写真にはならない。」

***
アラ・ギュレルの写真をもういちど味わってみて欲しい。そしてもう一度、人間を発見してほしいと思う。

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( 翻訳者:山下 王世 )
( 記事ID:1368 )