Mehmet Ali Birandコラム:イスラームは生活様式だろうか?(Hurriyet紙)
2005年12月16日付 Hurriyet 紙

公正発展党はきっと気づいていないだろうが、トルコの国内外でクエスチョンマークでいっぱいの光景が映されている。この印象はまだ広まっていない。しかし自覚しなければ、取りくまなければ、危険なことに発展しかねない。

公正発展党員は分かった上で行動しているのだろうか、それとも自分の心で感じたままに足を踏み出しているのだろうか。私には分からない。時々あまりにも保守的な方向へ偏ってはそのような決定を出すので、「もしかしたら?」という問いを生まれさせる。

気をつけてみれば、一つも大きな進歩はない。たとえば、スカーフやイマーム・ハティプ高校に関して衝撃を起こすような決定は出されていない。その代わりに、小さな動きばかりいつも起こしている。これら全ての動きを一個一個挙げてみても、疑いと不安は増えるばかりだ。

何の意味があるのかちっとも分からない禁酒法の生んだ反応で、すぐに本性が見つかってしまった。まずニューヨークタイムズの記事、それから国際APの報道したニュースは注意をひくものだった。
この展開を重要視しないことは誤りだろう。次々に出されるこのニュースは公正発展党だけでなく、トルコのイメージをも壊すのだ。
見た感じでは、公正発展党員はここのところをあまり考えていないようである。良好な経済発展、EUとの関係、IMFからの前向きなサインなどが国際世論から良い成績をもらうに充分だと思っているようだ。
間違いである。
2006年から2007年の期間ははトルコで大統領とその他一般の選挙がある。つまり、政治的ボルテージは上がる。この間に、「我々の勢力は強い、皆様の望みを叶えることができます」というアプローチは政権に大きな過ちを犯させるかもしれない。すべてが上手く行っていると考えているうちに、空気は突然変わり、すべての均衡はひっくり返るかもしれない。

公正発展党は宗教的なモチーフのついた動きを取る時、気をつけなければならない。国際社会でのポイントは少しずつ下がっている。

■アクスはなぜ黙っているのか?

「赤い通り」あるいは「飲酒禁止地区」に関して、混乱は続いている。
水曜日の記事にアフメト・ハカンも言及した公正発展党がしたがっていることは理解されていない。
・公正発展党は世俗層が疑っているように、禁酒法を敷きたいのだろうか?
・もしそのようなつもりがないなら、内務省の回状は何の意味があるのだろうか?
・内務大臣アクスをはじめ公正発展党員はどんな禁止も問題は無いと説明している。ならば、公正発展党の自治体がとった決定はどんな意味があるのだろうか?

はっきり言って、私の中でも答えは出ていない。

とくに首相がその決定を擁護した際に「交通事故の要因の多くは飲酒だ」と言ったことも、クエスチョンマークを増やした。つまり、禁止がテーマなのだ。しかし、この禁止がいつ、そしてどのように実施されるかも明らかではない。

分かっているのは、完全な混乱があるということだ。

しかも関係者の一人も、出て来てこの問題をはっきり議論しようとしない。こんな状況では、疑いと不安は増えるばかりだ。

かいつまんで言えば、公正発展党は知ってか知らずか、問題を持ち込んだ。そしてまた、知ってか知らずか、この問題の内面を明らかにしようとはしない。

理由は、きっと首相の頭の中だろう。ほかの誰も知らないのだ。だから黙っているのだ。

■EUは国民を理解できないそうだ

沢山の批判が来た。
欧州議会や評議会メンバーはひどく批判された。私もこの批判に参加した。とくに、欧州議会の反応に関してだ。
ヴァンの学長に関する裁判を例にしよう。
今までどんな小さな事件であろうと声を上げてトルコに批判を浴びせたEUが、アシュクンの裁判には見て見ぬふりをしている。誰の声も上がらなかった。

なぜだ?

南東の問題では大騒ぎしている者、オルハン・パムクの裁判では大きな反応を示した者達が今なぜ黙っているのだ?
私の知るある人物に電話をかけ、理由を聞いた。返ってきた答えは興味深いものだった。読者の皆さんにもご紹介したい。

「この問題を最初っから理解できなかったんだ」と言う議会メンバーは「今でも、どうなっているのかと、その理由を完全に取らえきれてはいないんだ。しかも裁判の問題になると我々はよけいに注意深く扱わざるをえなくなった」と話した。

心配しているみなさんはご用心。

Tweet
シェア


現地の新聞はこちらから
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:池田 慈 )
( 記事ID:1560 )