Milliyet紙コラム Taha Akyol 「少女たちを学ばせる」
2005年06月11日付 Milliyet 紙

首都アンカラから110キロ離れた所にアタキョイという村がある。そこでは少女たちを学校に行かせる率が非常に低いのだ!
CNN TURK(トルコ版CNN)のニュースで観たのだが、娘を学校に行かせない父親が「娘が学校に行ったら、一体誰が家事をするんだ?」などと言っていた! 母親達の中にさえこう考える者がいるのだ!
もちろんこの「家事」の中には、生まれたばかりの赤ん坊の兄弟の世話も含まれている!
CNN TURKの記者、ディジレ・エレンは、村で小学校を終えた少女達と話していた。勉強を続けることや、看護婦や先生になることを望んでいるのに、彼女達の父親や母親は許可しないのだ!
なぜなら:
「村のような地域では、娘を学ばせるのは恥!」
すべての問題はつまりここなのだ!
かつて郊外では少年たちも、牛を追わせよう、畑で父親ね手伝いをさせよう、と学校に行かせなかったものだ。しかし、農業の機械化が少年達をこの拘束から解放し、それどころか村々は仕事の無い若者で溢れている!
しかし少女達はというと?!!風習の圧迫が続いている上に、家事や赤ん坊の世話にまだ少女達を使っている。何世紀も?こうだったから「村のような地域では娘を学ばせるのは恥」という「文化」―正しくは風習―として成り立ってしまったのだ!
*****
アタキョイというこの村に、2004年の9月に行ったことがある。国民教育大臣ヒュセイン・チェリックを「歪んだ真実」というプログラムに来賓として、村から中継をしたのだ。
その時村では45人の少女が学校に行かせてもらっていなかった。彼女達の家族と会い、チェリック大臣はその家族の一つ一つから約束させたのだ、娘達を学校へ行かせると。
今ディジレ・エレンによれば、村で学校に行かされていない少女の数は15人に減ったらしい。それはそれで良い事だか、これでも恥ずべきだ!
例えば政府統計局の数字を見てみると:
●バルックエシルの識字率は男性が94%で、女性が83%である。バルックエシル都市化、村と都市の間の経済関係がかなり発達した県だ。
●アールでは、識字率は男性が83%、女性は52%である。女性の半分は文盲なのだ!まだ辺遠的性格が重くのしかかる県である。
*****
教育と経済的・社会的発展は、卵が先かニワトリが先かの議論のようである。伝統的な村の生活洋式は、部族的生活で、子供が安い労働に必要があるからだろうが多産は美徳とされ、娘達に教育をさせるのは恥と見なされ、女性は「家の労働者」のように働き、またそのように見られる。何世紀もこのように続いてきたため、こうやって「風習」を構成したのだ。
オスマン朝は1869年に「国民教育綱領」で無料の初等教育の義務を宣言した。さらに共和国政府は、村の教育のために奔走した。
道、学校、教える教師がいなければ、そして最も重要なのは、村人が、その下で暮らす屋根と糧を得る畑の間に挟まれた生活様式から出ることができないから教育を必要だと感じなければ、理想主義者が望んだ結果を得ることができるだろうか?
都市化、商業化、村の経済から都市への繋がり、テレビ、経験の増加などのような要因が発達すれば読み書きと教育はパンや水のように日常に必要な状態になり、古い慣習は崩壊する。
この要因があまり発達していない場所では、古い風習は減りつつも支配を続けている。
最後の闇の中に、学校に行かせてもらえない60万の少女達がまだいるのだ!Milliyet紙のキャンペーンは、この60万人の少女達の叫び声である。
「お父さん、私を学校に行かせて!」
少女達を学ばせることを私達が強調すればするほど、「真の恥は、娘達を学ばせないことだ」という文化は力を得るのだ。

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( 翻訳者:池田 慈 )
( 記事ID:235 )