Milliyet紙コラム Sami Kohen「変革の順番はいずれに?」(トルコの中央アジア報道)
2005年05月14日付 Milliyet 紙

中央アジアで、反対デモ、あるいは暴動というニュースが伝わるや、決まって「今度、革命の順番が回ってきたのはこの国なのだろうか?」という問いが頭をよぎる。問題となる国家は、ウズベキスタン…つい2ヶ月前に無血革命を経験したキルギス共和国の隣国である。ウズベキスタンのキルギス国境に近いアンディジャン市で、週日に平和的に始まりながら、ついに昨日流血の事態に至ったデモは、一見したところ、(これまでの)変化の潮流が同国においても予兆を示したのだという見解を生んだ。この見解はどれほど正しいものだろうか、あるいは実現する見込みはどうだろうか?言い方を変えれば、グルジア、ウクライナ、キルギスの次は、ウズベキスタンもが、大衆運動による体制転換の舞台となっていくのだろうか?疑問符がつく。現段階で言えそうなことは、「ドミノ現象」がタシケントまで波及することがそれほど容易なことではなかったということ、である。

その主な根拠は、ウズベキスタンでは、イスラム・カリモフによる、息も詰まるほどの強固な全体主義体制が確立されていたことである(キルギスと比較すれば、アスカル・アカエフ政権は比較的リベラルであった)…。ウズベキスタンの急進的なイスラム勢力が現体制を打倒してシャリーア的秩序をもたらそうと求めることも、カリモフが、彼らに対して戦端を開いたことも、(いずれも)もっともなことである。「イスラーム解放党」のような武装組織がテロに訴えることは、ご承知の通りである。しかし、カリモフが、イスラム原理主義者に対する闘争を意図する一方で、その他の理由や目的から体制に異を唱える人々をも標的にし、強硬な弾圧策を国内隅々に行き渡らせている。様々な国際組織が、何千万という人々を拘束し、様々な拷問を加え、基本的人権を無視している、としてウズベキスタンを非難しているほどなのだ。

アンディジャン市でのデモと衝突は、拘留された23名の実業家たちがイスラム原理主義のかどで断罪された結果として発生した。約3000名のデモ参加者たちが公的施設に攻撃を仕掛けるに及んで、治安部隊も反撃した。こうして、初めてウズベキスタンの一都市が、大衆運動の(そして流血をともなう衝突の)舞台となった。デモ参加者が、事件の折に「公正、自由、デモクラシー」といったスローガンを用いていたことは意味深長である。これら(の語彙)は、今までウズベキスタンにおいて口にするのが憚られた語彙であった。デモ参加者の述べるところによれば、逮捕された実業家たちはイスラム原理主義とは無関係であり、カリモフは反対派を威嚇するために、この種の罪状を口実として用いている、という。ウズベキスタンを専門とするアナリストもこの見解を支持し、イスラム8原理主義が同国において脅威となっていることを認めつつ、カリモフの手法が総じて急進主義を煽っている一方で、貧困と失業にあえぐ多数の民衆をも絶望と憤激へと追いやった、と指摘する。

カリモフの「鉄拳」政策が、ウズベキスタンにおいて、――例えばキルギスのような――「民衆運動による転換」にとって好都合な環境を生み出さないのである。ゆえに、アンディジャンのデモが速やかに国中に波及し、カリモフを退陣させることになるという結果には、専門家の多くが否定的見通しを持っている。しかし、ウズベキスタンでこのような活動が始まったことこそが、重要である。もはや、ウズベキスタンは――変革の順番が、いつ回ってくることになるのかという問いとともに――世界的な議論の俎上に乗っているのである。


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( 翻訳者:長岡大輔 )
( 記事ID:84 )